{"product_id":"ayl18h54","title":"1787～1788年 インド ベンガル管区 イギリス東インド会社 OBLIQUE MILLING 1モハール金貨","description":"\u003ch3\u003e富と権威の象徴として扱われたモハール金貨\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eムガル帝国は1526年から1858年まで続いた、インド史上最大のムスリム王朝です。 最盛期には中央アジアからデカン高原、さらにはベンガル湾にまで広がる広大な領域を支配しました。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eムガル帝国の伝統を引き継ぎつつも、すでに栄光が陰り始めた18世紀後半、 1787年から88年にかけて発行されたのが、ベンガル地方の1モハール金貨です。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e一見すると伝統的なムガル帝国のコインに見えますが、 実際にはイギリスの東インド会社によって発行されたもの。 インドの王朝とヨーロッパの植民地支配という、 二つの時代が同居する「過渡期のシンボル」ともいえるコインです。 希少性の高さと相まって、非常に高い評価を受けています。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e同コインは発行枚数が不明で、市場に出てくることが非常にまれです。 歴史的・美術的な評価も高く、希少性の高い金貨として知られています。 近年のオークションでは、状態が良好な個体であれば、 100万円を超える価格で取引されることも珍しくありません。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e今回ご紹介するコインのグレードはMS64。 未使用に近い状態を保ち、保存状態も良好です。 市場では50万円から65万円前後で販売されることが多く、 今後の価格上昇も十分に期待できる一枚といえるでしょう。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eイギリスと植民地の相克を今に伝える、 ベンガル保護領・東インド会社発行の1モハール金貨。 エキゾチックな意匠と、時代の転換点が刻まれた歴史の重みを、 ぜひ感じてみてください。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1787年から88年に発行されたベンガル管区のモハール金貨には、ペルシア語で「神の恩寵の影、信仰の守護者シャー・アーラム皇帝が7つの国土で貨幣を発行する」と刻まれています。 この「7つの国土」という表現は、広大な支配領域を象徴する比喩であり、かつて世界帝国を築いたムガル皇帝の偉大さを示すための言葉です。 しかしこの時代のムガル帝国は、すでに衰退の途上にありました。 ベンガルで流通する貨幣を実際に管理していたのは、ムガル皇帝ではなくイギリスの東インド会社です。 つまりこのモハール金貨は、伝統的な意匠をまといながら、背後には近代ヨーロッパの現実が映し出された存在だといえるでしょう。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003eモハール金貨は発行当時から、日常の買い物に使われるというよりも、富と権威の象徴として扱われていました。 国家間の取引や大規模な商取引で用いられていたと考えられています。\u003cbr\u003e1787年から88年に発行されたベンガル・モハール金貨は、金の純度が高いことでも知られています。 イスラム様式を強く意識したデザインは、現地の人びとにムガル王朝の変わらぬ権威を印象づける狙いがあったのでしょう。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e市場に姿を現すことは非常にまれなこの金貨は、近年アンティークコイン市場での評価が高まるにつれ、オークションでも高値を記録するようになっています。 金貨としての価値に加え、インドとヨーロッパ近代史の交錯を宿している点が、大きな魅力となっています。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e今回ご紹介するモハール金貨に名が刻まれているのは、ムガル帝国第13代皇帝シャー・アーラム2世（在位1759〜1806年）です。 即位時は31歳と若く、かつての帝国の栄光を取り戻そうとしましたが、彼を待ち受けていたのは試練の連続でした。\u003c\/p\u003e\n\u003cp\u003e1764年、イギリス東インド会社と戦った「バクサルの戦い」で敗北。 翌年に結ばれた条約によって、帝国の財政の要であったベンガル、ビハール、オリッサの徴税権を東インド会社に奪われます。 この条約を境に、ムガル帝国は事実上の崩壊へと向かいました。\u003cbr\u003e1787年に発行されたベンガル管区のモハール金貨に名を残しているとはいえ、 当時のシャー・アーラム2世はすでに名目上の皇帝にすぎませんでした。 東インド会社の庇護下に甘んじることをよしとせず、デリー奪還を試みますが、 さまざまな勢力に翻弄され続けます。\u003cbr\u003e1788年にはアフガン系のローヒラー一族に囚われ、失明させられるという悲劇に見舞われました。 1803年にはデリーもイギリスの支配下に置かれ、以後は年金を受け取りながら不遇な晩年を過ごしたと伝えられています。\u003cbr\u003e政治的には困難なかじ取りを強いられたシャー・アーラム2世ですが、 一方で芸術や学問に深い造詣を持つ皇帝として知られていました。\u003c\/p\u003e\n\u003ch3\u003e東インド会社とコーンウォリス総督\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003e実際に1787年にモハール金貨を発行したのは、ムガル帝国ではなくイギリスの東インド会社でした。 当時ベンガル総督を務めていたのは、チャールズ・コーンウォリス卿です。\u003cbr\u003e彼はアメリカ独立戦争でイギリス軍を率い、ヨークタウンで敗北したことで知られる人物。 敗戦後にインドへ赴任し、東インド会社内部の腐敗を正すため、行政・司法制度の改革に着手しました。\u003cbr\u003eその一環として貨幣制度の安定化にも取り組み、現地文化を尊重する姿勢を示しながら、 会社による支配体制を着実に強化していきます。\u003cbr\u003eその戦略を象徴する存在こそが、このモハール金貨です。 表向きはムガル皇帝を称えながら、実態はイギリスの植民地経営の一環として発行された貨幣。 「伝統を尊重することで支配を円滑に進める」という、東インド会社の巧妙な統治戦略が透けて見えます。\u003c\/p\u003e\n\u003ch3\u003eモハール金貨が発行されたベンガルとは\u003c\/h3\u003e\n\u003cp\u003eベンガルはインド東北部に位置し、当時インドでも屈指の富裕地域でした。 米や綿織物の一大生産地として知られ、その豊かな富を求めて列強が注目していた地域です。\u003cbr\u003eイギリスはこの富を掌握するため、税制や商取引を徹底的に管理し、 ベンガルを植民地経営の中核と位置づけました。\u003cbr\u003eモハール金貨はイギリス本国にも輸出され、18世紀のヨーロッパの収集家たちの間でも高い人気を博します。 ロンドンのサロンでは「インドから来た黄金のコイン」が話題となり、 異国趣味と帝国主義が結びついた象徴として飾られていたと伝えられています。\u003c\/p\u003e","brand":"PRIME MINT","offers":[{"title":"Default Title","offer_id":44523430084677,"sku":null,"price":680000.0,"currency_code":"JPY","in_stock":true}],"thumbnail_url":"\/\/cdn.shopify.com\/s\/files\/1\/0650\/2606\/4453\/files\/ayl18h54-1_1.jpg?v=1767966990","url":"https:\/\/primemint.jp\/products\/ayl18h54","provider":"PRIME MINT","version":"1.0","type":"link"}