ジョージ6世の生涯を解説!生い立ちから晩年までの歴史と現代に残した功績
- 本来は王になるはずではなかったジョージ6世が、兄の退位と吃音という困難を乗り越え、国民に慕われる王となるまでをたどります。
- 第二次世界大戦下で国民と苦難を共にした姿や、現在まで続く「国民に寄り添う王室」の基盤を築いた功績を紹介します。
- 映画『英国王のスピーチ』でも知られる生涯とともに、戴冠記念の5ポンド金貨などジョージ6世ゆかりのコイン3枚も紹介します。
アカデミー作品賞などを受賞した映画『英国王のスピーチ』。この映画をご覧になり、吃音に悩みながらも懸命にスピーチに励むジョージ6世の姿に、胸を打たれた方は多いのではないでしょうか。
王家の次男として生まれ、本来ならば王になるはずでなかったジョージ6世が、世界大戦という未曾有の国難の中でいかにしてイギリスを導いたのか。その生い立ちや人柄に興味を持たれる方も少なくありません。
予期せぬ形で王位に就きながらも、英国民から深く慕われ、イギリス王室の危機を救ったジョージ6世。彼はどんな生涯を送り、どのような功績を遺したのでしょうか。現在のイギリス王室の基盤を築いた1人であるジョージ6世の魅力を、彼にゆかりのあるコインも含めて解説します。

講談社・幻冬舎などへ寄稿する、イタリア・ローマ在住のヨーロッパ史研究家・歴史ライター
❖映画「英国王のスピーチ」で知られるジョージ6世とは?
ジョージ6世は、兄の退位により予期せぬ形で王位に就き、第二次世界大戦下のイギリスを支え、国民に寄り添った王でした。その姿勢は、現代の英国王室の在り方に大きな影響を与えました。
ジョージ6世の人柄や、国王としての歩みを、いくつかの視点から見ていきましょう。

40代前半のジョージ6世(画像出典:Wikimedia Commons)
予期せぬ形で王位に就いた内気な国王
ジョージ6世(本名:アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ)は、1895年、ジョージ5世の次男として誕生しました。
次男であったことから、将来国王になることは期待されておらず、本人も王位を望むような野心は持ち合わせていませんでした。むしろ、幼いころから内気な性格で、目立つことを好まなかったと伝えられています。
しかし1936年、華やかな魅力で国民的人気を誇っていた兄のエドワード8世が、いわゆる「王冠を賭けた恋」によって即位後まもなく退位を宣言します。この予期せぬ事件によって、彼の運命は大きく変わることになりました。
心の準備ができないまま、大英帝国のトップに立たざるを得なくなったジョージ6世。彼が抱えた苦悩とプレッシャーは、計り知れないものがありました。

エドワード8世の退位宣言書(画像出典:Wikimedia Commons)
幼少期から悩まされた激しい吃音の克服
ジョージ6世は、幼いころから激しい吃音症に悩まされていました。原因としては、厳格な父ジョージ5世からの重圧や、生まれつき左利きであったのに右利きに強制されたストレスなどが挙げられています。
ジョージ6世にとって転機となったのは、オーストラリア出身の言語療法士ライオネル・ローグとの出会いでした。ジョージ6世は、呼吸法の改善や発声・発音の訓練、さらには心理面からのアプローチも含めた治療に根気強く取り組んだといわれています。
そして迎えた最大の試練が、1939年9月3日、第二次世界大戦への参戦を国民に告げるラジオでの開戦スピーチでした。大英帝国全土の国民がラジオに耳を傾けるなか、ジョージ6世はローグが付き添う放送室で、見事なスピーチを成し遂げたのです。
この一連の物語は、アカデミー賞の作品賞や主演男優賞を受賞した映画『英国王のスピーチ』のモデルになり、広く知られるようになりました。
現代まで続くイギリス王室の威信を盤石にした名君
ジョージ6世は、誠実な人柄でした。予期せぬ即位であったにもかかわらず、強い責任感を持って、国王としての務めを全うしました。特に、治世の大部分を占めた第二次世界大戦下でのリーダーシップは、現在でも高く評価されています。
1940年には、バッキンガム宮殿も空襲の被害を受けました。それでもジョージ6世は、王妃エリザベスと共にロンドンにとどまる道を選びます。空襲で被害を受けた場所へ自ら足を運び、傷ついた人々を励まし続けました。国民と苦難を共にするジョージ6世のこうした姿勢は、国民に勇気と希望を与え、結果、王室への強い信頼を築き上げたのです。
ジョージ6世の「国民に奉仕する」という君主の在り方は、長女エリザベス2世へと受け継がれました。
❖ジョージ6世の人生概略
| 1895年 | ジョージ5世の2男として誕生 |
| 1909年~1912年 | 海軍兵学校で学ぶ |
| 1916年 | 第1次世界大戦においてユトランド沖海戦に参戦 |
| 1919年 | ケンブリッジ大学で歴史学、経済学などを学ぶ |
| 1920年 | ヨーク公に叙される |
| 1923年 | スコットランド貴族の娘エリザベス・ボーズ=ライアンと結婚 |
| 1936年 | 兄エドワード8世の退位を受けてイギリス王ジョージ6世として即位 |
| 1939年 | 北米を訪問、外交面で活躍 |
| 1939年 | 9月3日、映画『英国王のスピーチ』で有名になった伝説的な演説をラジオで行い、国民の支持を得る |
| 1939年~1945年 | 軍や戦災地を頻繁に訪れ、国民と苦難をともにし続ける |
| 1947年 | インドの独立に伴いインド皇帝位を放棄 |
| 1949年 | イギリス連邦(コモンウェルス)発足、初代首長となる |
| 1952年 | 長年の健康悪化の末、56歳で崩御 |
❖ジョージ6世の生涯
王の次男として生まれ、内気な性格であったジョージ6世。彼はどのような道を歩んで国王となり、どのような業績を残したのでしょうか。ジョージ6世の56年におよぶ生涯を、6つのフェーズから解説します。
幼少期~青年期:軍人としての歩み
ヨーク公時代:社会貢献と個人的な試練
治世初期:突然の即位と多忙ななかでの戴冠式
第二次世界大戦期:ドイツへの宣戦布告と伝説のスピーチ
第二次世界大戦後:大英帝国の崩壊と求心力の低下
晩年:心労による健康悪化とエリザベス2世への継承
幼少期~青年期:軍人としての歩み
ジョージ6世は、1895年12月24日、イギリス王ジョージ5世の次男として誕生しました。
誕生時に与えられた名前は、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ。曾祖母ヴィクトリア女王の夫アルバート公にちなんでアルバートと呼ばれていた彼は、幼少期から海軍軍人になることが期待されていました。即位時にジョージ6世という名前になったのは、国民に愛された父ジョージ5世にちなんだといわれています。(混乱を避けるため以後はジョージ6世で統一します)
1909年、13歳で海軍兵学校に入学したジョージ6世は、後に海軍に入隊。
1916年、第一次世界大戦における最大の海戦「ユトランド沖海戦」に参戦しました。戦闘中の勇気ある行動は、報告書で高く評価されています。
1919年には英国王室メンバーとして初めて飛行免許を取得しています。
第1次世界大戦終了後、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで歴史学や経済学を修め、公人としての素養を養いました。
ヨーク公時代:社会貢献と個人的な試練
1920年、ジョージ6世はヨーク公爵に叙され、ヨーク公アルバートと呼ばれるようになりました。年齢も25歳になっていた彼は、この頃から公務を本格化させます。
ジョージ6世は、ヨーク公爵時代から慈善活動に熱心に取り組んでいました。1921年から1939年まで、異なる社会階層の少年たちの交流を支援し、社会の壁を取り払う先駆的な試みを行っています。
1923年、スコットランド貴族の令嬢エリザベス・ボーズ=ライアンと結婚。二人の娘(後のエリザベス2世とマーガレット王女)と共に穏やかな家庭を築きます。
一方で、幼少期からの深刻な吃音という課題に対し、1925年からは言語療法士ライオネル・ローグのもとで治療を開始。不屈の意志で克服に努めるなど、誠実な努力を重ねました。
治世初期:突然の即位と多忙ななかでの戴冠式
1936年12月、「王冠を賭けた恋」によって兄エドワード8世が退位します。それを受け、推定王位継承者だったヨーク公アルバート、すなわちジョージ6世が国王に即位しました。本人は王位を望んでおらず、帝王教育も十分に受けられないままの即位だったと伝えられています。
内外の情勢も混乱を極めており、エドワード8世が退位宣言を出したその日に、アイルランド自由国政府は憲法からイギリス国王の直接統治に関する内容を削除する法案を可決。王室を取り巻く環境は厳しさを増していました。
ウェストミンスター寺院で戴冠式が挙行されたのは1937年5月12日。この日は、もともとエドワード8世の戴冠式のために決められていた日取りでした。心の準備が整わないまま、国王としての仕事に追われる日々のなかで、ジョージ6世は戴冠の日を迎えたのです。
同じ1937年5月に首相となったネヴィル・チェンバレンは、ナチス・ドイツに対する宥和政策を進めました。ジョージ6世は、立憲君主として政府の政策決定を主導する立場にはなく、国王として国を支えていくことになりました。

即位後まもないころのジョージ6世(画像出典:Wikimedia Commons)
第二次世界大戦期:ドイツへの宣戦布告と伝説のスピーチ
1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻します。イギリスはドイツに撤退を求めましたが、要求は受け入れられず、9月3日にドイツへ宣戦布告。ここに第二次世界大戦が勃発しました。
同日夕方、国王ジョージ6世はラジオを通じて、イギリス国民に向けて重要な演説を行いました。未曾有の危機を共に乗り越えるべく、ジョージ6世は、国民に団結と勇気を呼びかけたのです。その真摯な姿と言葉は、恐怖と不安に包まれていたイギリス国民の心を強く打ち、絶望的ともいえる戦争へ立ち向かう大きな精神的支柱となりました。
1940年9月には、王の居城バッキンガム宮殿も空襲の被害を受けました。それでもジョージ6世とエリザベス王妃は国内にとどまり、空襲の被災地や病院、軍需工場などを訪問して国民を励ましました。国内にとどまらず、前線の兵士たちのもとへも足を運び、軍の最高司令官として将兵の士気を支え続けたのです。

イギリス軍兵士に激励を送るジョージ6世国王夫妻とエリザベス女王(画像出典:Wikimedia Commons)。
第二次世界大戦後:大英帝国の崩壊と求心力の低下
第二次世界大戦で戦勝国となった大英帝国でしたが、その代償は小さくありませんでした。本土はドイツの空襲によって大きな被害を受けたうえ、財政状態も悪化していました。またシンガポールやビルマなど、アジアにおける広大な植民地は日本軍の侵攻を受けたため、国力は大きく低下。世界各地の植民地を統治する国力と威信を喪失したイギリスは、急速にその求心力を失っていきました。
そうしたなか、植民地では独立の気運が高まっていきます。1947年8月、イギリス領インドはインドとパキスタンの2か国に分かれて独立しました。ジョージ6世は両国の国王となり、ヴィクトリア女王の時代から歴代の王が受け継いできた「インド皇帝」の称号は、翌1948年に外されました。
1950年にはインドが共和国となり、ジョージ6世の「インド王」の地位も失われます。パキスタンも1956年、娘エリザベス2世の時代に共和国となり、英国王を元首とする体制は終わりを迎えました。七つの海を支配した大英帝国が、大きく姿を変えていく転換点を象徴する出来事だったといえるでしょう。
晩年:心労による健康悪化とエリザベス2世への継承
第二次世界大戦中の重い責任、戦後の処理におけるさまざまなストレスと過労は、ジョージ6世の体を確実に蝕んでいました。生来病弱であったことに加え、ヘビースモーカーであったこともあり、ジョージ6世は戦後、急速に体調を崩してしまいます。
1951年には肺の手術を受け、公務を控えるようになりました。そのころから、長女のエリザベス王女が父に代わって務めを果たす機会が増えていきます。
1952年1月31日、ジョージ6世は、オーストラリアなどへ向かうエリザベス王女夫妻を、空港で見送りました。その6日後の2月6日、静養先のサンドリンガム・ハウスで、眠るように息を引き取ります。56歳でした。
外遊の途上、滞在先のケニアで訃報を受けたエリザベス王女は、25歳で女王に即位。父の志を受け継いだ女王の誕生でした。
❖ジョージ6世が現代に残した功績と影響
ジョージ6世は、困難な戦時下を国民と共に乗り越えただけでなく、現代のイギリス王室や国際社会にも通じる遺産を残しました。
彼の治世や姿勢が現代にどのような影響を与えたのかを、2つの視点から見ていきましょう。
国民に寄り添う開かれた王室スタイルの確立
ジョージ6世は、王が国民に寄り添うという、新しい王室のスタイルを確立しました。
かつての君主といえば、絶対的な権力をもって国民の上に君臨する存在でした。これに対しジョージ6世は、ラジオで全国民に語りかけ、被災地を訪れ、国民と苦楽を共にするという姿勢を示します。王妃と娘2人と共に過ごす家庭的な姿も、国民に親しまれました。
ジョージ6世の努力によって、王室は「国民から敬愛され、親しまれる」存在となったのです。国民との距離を縮め、「国民と共に歩む」という存在意義は、次の君主に引き継がれています。ジョージ6世のこうした遺産は、娘のエリザベス2世、孫のチャールズ3世、そして未来の国王となるウィリアム皇太子へと続く、現代の王室の根幹となりました。
「大英帝国」から「イギリス連邦(コモンウェルス)」への軟着陸
「大英帝国」として、世界各地に広大な植民地を有していたイギリスは、戦後に大きく変化せざるを得なくなりました。
1947年、インドとパキスタンが独立すると、ジョージ6世は「インド皇帝」の称号を潔く放棄。1949年には、共和制に移行したかつての植民地が、緩やかな連合体として留まれるよう制度が改められました。「コモンウェルス」と呼ばれるこの制度において、イギリス国王はその結びつきを象徴する「首長」に位置づけられています。ジョージ6世は、初代の首長となりました。
武力による帝国の維持を過去のものとして、対等な独立国家同士の連合へ――。転換を進めたのは政府でしたが、ジョージ6世は、戦後の国王としての役目を果たしたといえるでしょう。
❖ジョージ6世との関係が深いアンティークコインのおすすめ3選
歴史的な転換期を治めたジョージ6世や、その血脈を受け継ぐ君主たちのアンティークコインは、世界中のコレクターから熱烈な支持を集めています。ここでは、ジョージ6世に関連するおすすめのアンティークコインを3つご紹介します。
※当記事は金貨に関する一般的な情報提供を目的としております。
アンティークコインは、お客様の予算や投資目的、重視されるポイントによって最適な一枚が異なります。
そのため、本記事でご紹介したコインがお客様にとって最適な選択とは限りません。
この記事の内容だけで購入を判断されるのではなく、ご不明な点や購入をご検討の際は、ぜひ気軽にご相談ください。
お客様の予算や目的に合わせた一枚をご提案いたします。
イギリス ジョージ6世 5ポンド金貨

ジョージ6世の戴冠を記念して1937年に発行された5ポンド金貨です。最大の特徴は、この年のみの「単年発行」であり、発行枚数が非常に少ないという圧倒的な希少性にあります。世界のコレクターが目標とする「歴代5ポンド金貨コレクション」において、本コインはその希少性ゆえに最後の関門とされ、常に市場で激しい争奪戦の的となっています。
また、歴史的背景も資産価値を後押ししています。表面には大英帝国の終章を象徴する「インド皇帝」の称号が刻まれており、激動の時代を反映した深い歴史的意義を持っています。
デザイン面では、困難な時代に国民から敬愛されたジョージ6世の気品ある肖像と、裏面の伝統的で勇壮な「聖ジョージ像」が美しく調和しています。傑出した希少性と歴史的・芸術的価値を兼ね備えた本コインは、投資対象として確かな魅力を備えています。
イギリス領カナダ ジョージ5世 5ドル金貨

ジョージ6世の父に当たるジョージ5世の姿が刻印された、イギリス領カナダで1912年に発行された5ドル金貨です。本コインはカナダ王立造幣局が発行した「初の公式金貨シリーズ」であり、素材にはゴールドラッシュで名を馳せたクロンダイク産の金が使用されています。
投資対象としての最大の強みは、その圧倒的な希少性にあります。第一次世界大戦の影響により発行期間はわずか2年間と短く、さらに製造された金貨の多くが政府に回収されたという特異な歴史を持つため、現在市場に出回る絶対数が極めて限られています。
そのため、一般市場や個人間取引で姿を現すことは非常に稀です。カナダ初の金貨という世界的な信用度と象徴性に加え、慢性的な供給不足を背景としていることから、価格下落のリスクが低いと評価されています。第一号コインという付加価値も高く、手堅い現物資産としてポートフォリオに加えたい逸品です。
イギリス エリザベス2世 ヤングヘッド 1ソブリン金貨

ジョージ6世の長女であるエリザベス2世の姿が刻印された1ソブリン金貨です。
最大の特徴は、表面に刻まれた「第1ポートレート」と呼ばれる最初期の若々しい肖像にあります。戴冠直後の清廉な姿はコレクターからの人気が高い傾向にあります。裏面には、英国金貨の象徴であり、世界的に芸術的評価の高い「聖ジョージと竜」が描かれ、表裏ともに優れた完成度となっています。
また、投資視点で注目すべきは、1967年が一般流通用のソブリン金貨が大量発行された事実上の最終年である点です。「クラシック期の最後を飾る金貨」という歴史的節目を象徴する確かな付加価値を持っています。
国際的な信用度が高いソブリン金貨のなかでも、若き女王の肖像と豊かな物語性を持つ本コインは価格が安定しており、初心者から上級者まで幅広い層に支持され続ける手堅い現物資産といえます。
❖ジョージ6世に関するよくある質問
ジョージ6世について、名前の由来や内政や外交における功績、家族との関係などさまざまな疑問を持つ方も多いと思います。
ここでは、よくある質問と回答をまとめました。ジョージ6世への理解を深めるためにお役立てください。
なぜ「アルバート1世」ではなく「ジョージ6世」と名乗ったのですか?
ジョージ6世の本名は、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ。家族からは「アルバート」の愛称で「バーティー」と呼ばれていました。実際、即位前はヨーク公爵王子アルバートが正式名称でした。
即位が決まったとき「ジョージ6世」の名前を選んだのは、敬愛する父ジョージ5世の名を継ぐことで、兄の退位で揺らいだ王室の継続性と安定を示すためといわれています。
余談ですが、ジョージ6世の祖父エドワード7世も、本名はアルバート・エドワードで「バーティー」と呼ばれていました。即位時に「アルバート1世」の名を選ばなかったのは、父アルバートの名が父のものだけとして残ることを望んだためだったといわれています。
アメリカを公式訪問した最初のイギリス君主というのは本当ですか?
はい、事実です。
1939年5月から6月にかけて、ジョージ6世は王妃エリザベスと共にカナダとアメリカを訪れました。在位中のイギリス君主がアメリカを訪問したのは、これが初めてでした。この訪問は第二次世界大戦の前夜、ナチス・ドイツの脅威が高まる中でフランクリン・ルーズベルト大統領の招待により実現したものでした。
ワシントンで歓迎を受けたのち、ニューヨーク州ハイドパークにあるルーズベルト大統領の私邸も訪問。紙皿で出されたホットドッグを楽しんだ逸話は有名です。ヨーロッパで戦争の危機が高まるなか、アメリカとの結びつきを強める大きな機会となりました。
現在のチャールズ3世国王との関係は?
チャールズ3世は、ジョージ6世の孫にあたります。1948年生まれのチャールズ3世は、祖父が亡くなったときわずか3歳で、共に過ごした時間は短いものでした。
チャールズ3世は2023年に挙行された戴冠式では、入場時にも退場時にも、ジョージ6世が1937年の戴冠式で使ったローブを身にまといました。国民に寄り添う王室のあり方を築いた祖父への敬意が、うかがえます。
ちなみに、チャールズ3世の正式な名前は、チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ。「ジョージ」の名には、エリザベス2世の父であるジョージ6世にちなんだという見方もあります。
家族との関係はどうでしたか?
ジョージ6世は愛妻家として知られ、エリザベス2世とマーガレット王女を慈しむ理想的な父親でもありました。
彼は常に「We Four(私たち4人)」という言葉を口にし、家族の絆を大切にしました。仲睦まじい家族の姿は、イギリス社会における家族像の模範として国民から深く愛されたのです。
ジョージ6世の主な死因は何ですか?
ジョージ6世の直接の死因は、冠状動脈血栓症とされています。
1952年2月6日、静養先のサンドリンガム・ハウスで、眠っている間に息を引き取りました。背景には、長年の喫煙や戦中、戦後の過労による健康悪化があったと考えられています。
1951年には左肺の摘出手術を受けており、当時は病名が公表されませんでしたが、肺がんだったとされています。晩年は公務を控えめにし、長女のエリザベス王女が多くを代行していました。
アンティークコインのなかでも「ジョージ6世 5ポンド金貨」の人気が高いのはなぜですか?
極めて高い希少性と歴史的背景が主な要因です。
ジョージ6世の5ポンド金貨は、わずか5,500枚余りしか発行されなかった単年度発行のコインです。美しい輝きと重厚感に加え、困難を乗り越えた彼の劇的な生涯への共感が、コレクターの心を強く惹きつけています。
❖まとめ|予期せぬ即位から名君へ!ジョージ6世が残した現代への遺産
兄の華やかな人気の陰に隠れ、内気な性格だったジョージ6世。本人にとっても、望んだ王位ではありませんでした。
しかし即位後は、吃音と向き合いながら責務を果たし、第二次世界大戦下では国民と苦楽をともにして、兄の退位で揺らいだ王室への信頼を取り戻しました。
ジョージ6世が模索しながら築いた「国民に寄り添う開かれた王室」は、エリザベス2世、チャールズ3世へと受け継がれ、現代の王室を支える大きな遺産となっています。
戴冠を記念して発行された5ポンド金貨をはじめ、ジョージ6世ゆかりのアンティークコインは、王の人気を象徴するように、現在も世界中のコレクターから熱狂的な支持を集めています。
波乱に満ちたジョージ6世の生涯を、ぜひコインを通して感じてみてください。
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cucciola (クッチョラ)
ヨーロッパ史研究家兼歴史ライター
イタリア・ローマ在住 / ローマ・ラ・サピエンツァ大学 / 講談社・幻冬舎に寄稿
プロフィール
イタリアの名門ローマ・ラ・サピエンツァ大学で歴史を学び、20年以上にわたるイタリアでの生活を通じて培った豊富な知識と経験を生かし、ヨーロッパの歴史や文化を専門とする歴史ライターとして活躍。
古代ローマ、中世ヨーロッパ、ルネサンス史、王室史など幅広い歴史分野に精通し、イタリア語の原書や学術文献、一次史料を用いた綿密な調査を強みとして、歴史・文化分野の記事を中心に、アンティークコインに関する執筆も手がける。
2009年の執筆活動開始以来、これまでに1,000本以上の記事を執筆。
本記事は、アンティークコイン専門店 PRIME MINT を運営する株式会社Prime Mint Archiveが編集・監修を行っています。市場動向、コインの歴史、商品情報、真贋に関する内容について専門的な観点から確認・検証を行い、正確で信頼性の高い情報の提供に努めています。
参考文献
森譲『英国王室史話』1986年、大修館書店
小学館日本大百科全書「ジョージ6世」
平凡社世界大百科事典「ジョージ6世」
岩波世界人名大事典「ジョージ6世」
Britannica | George VI
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