なぜ「銃」が祭りの主役?ヨーロッパ射撃祭大会に見る伝統と誇り

なぜ「銃」が祭りの主役?ヨーロッパ射撃祭大会に見る伝統と誇り

 

スタッフのひとことナビ
Mina Yoshii(コイン歴2年)

射撃祭のコインを見ると、なぜ町のお祭りに銃や武器が描かれているのだろう、と少し不思議に感じるかもしれません。
けれど、その背景をたどっていくと、そこには中世の町が自分たちの手で守られてきた記憶が静かに息づいています。
射撃がスポーツになる以前の意味や、地域に根づいた価値観に目を向けながら、読み進めてみると面白そうですね。

 

 

ドイツやオーストリア、そしてスイスでは、射撃祭の記念コインが発行されることがよくあります。町をあげてのお祭りになぜ「銃」が登場するのか、不思議に思う方も多いと思います。
各都市や地域で行われる射撃大会や射撃祭は、中世のある伝統に起源を持っています。町の人たちの誇りでもある射撃祭について、詳しく解説します。


 

「射撃」はスポーツではなく町の自衛と連帯の証だった!

1458年にドイツ南西部コンスタンツで開催された射撃祭の様子(画像出典:Wikimedia Commons



「銃」以前の射撃

「射撃」と聞くと「銃」を思い浮かべます。実際には、射撃祭は13世紀以降の中世で行われていた行事。当時はまだ銃はなく、主役は弓や石弓でした。なぜ町のお祭りに、武器ともいえる弓や石弓が登場したのでしょうか。

それは当時のヨーロッパの防衛に関連しています。ヨーロッパで中世の面影を残す町を訪れると、城壁に囲まれた姿を今も多く見ることがあります。古代ローマ帝国という広大な国家が滅亡した後、各地域の人びとは、自分たちの力で町を守る必要に迫られました。
敵対する町だけではなく、サラセン人などの海賊の襲来も頻繁だった中世には、町を自衛する組織が必須だったのです。
神聖ローマ帝国内にあった小領邦や自由都市も、都市ごとに自衛の組織を持っていたといわれています。自治や自由を守るための大切な組織でした。

 

北イタリアに残るフェニス城の城壁(撮影:PRIME MINT)

 

城壁内側に設けられた防御用のアロースリット(撮影:PRIME MINT)

城壁の内側にあるアロースリット。城壁の外にいる敵に弓を放ちました。敵からの攻撃を受けにくい構造になっています。
つまり射撃は、スポーツではなく、防衛のために発展してきたといえます。城壁を舞台に戦う人びとは町の誇りであり、その組織は町のアイデンティティを守る存在であったのです。

 

弓よりも貫通力が優れていた石弓(画像出典:Wikimedia Commons

 

 

スイス独立の英雄ウィリアム・テルと射撃

オペラでも有名な「ウィリアム・テル」という名前は、誰もが一度は耳にしたことがあると思います。ウィリアム・テルは、13世紀の終わりごろ、スイス独立運動で活躍したといわれる英雄です。
彼のシンボルは弓。悪代官に責められて、息子の頭上にあるリンゴを打ち落としたという伝説で有名です。
ウィリアム・テルに代表されるように、射撃は町を守り、自治を勝ち取るための武器として、中世の人びとは尊重していたのです。

 

 

弓から銃へ!近代の射撃祭はなぜドイツやスイスで盛んに?

「町を自衛する」というコンセプトは、中世以降もヨーロッパで継続しました。やがて武器は、弓や石弓から銃器へと変化していきます。
しかし、コインの題材としてよく見られるのは、スイスや神聖ローマ帝国(現在のドイツ・オーストリアなど)で行われた射撃祭のものが中心です。なぜ、同じヨーロッパでもフランスやスペイン、イタリアなどでは射撃祭が発展しなかったのでしょうか。
その理由を、弓から銃への移り変わりや社会構造の違いとあわせて解説します。

 

1846年の新聞に載ったブレーメンの射撃祭のイラスト(画像出典:Wikimedia Commons

 

 

ヨーロッパにおける銃の歴史

火薬や圧力を活用した武器は、十字軍を通じて、アラブからヨーロッパに伝わったといわれています。しかし13世紀当時の技術では命中率が低く、ヨーロッパにはなかなか普及しませんでした。
15世紀になると、刀剣や甲冑など鍛造加工の優れた技術を持っていたドイツで、革新的なメカニズムを持つ鉄砲が改良されるようになりました。日本では火縄銃と呼ばれるタッチホール式の銃は、ドイツを中心に急速に普及します。
銃が大きな役割を果たした最初の戦争は、1525年のパヴィアの戦いが挙げられます。スペイン軍の銃が効力を発揮して、フランス王を捕虜にすることに成功しました。
この時代、戦場における怪我も、弓や石弓による擦り傷や切り傷から、骨を粉砕する重傷へと変わっていき、医師たちが対応に追われたという記録が残っています。

16世紀には、馬に乗りながら片手で扱える拳銃(ピストレット)や、銃身が短く軽い騎兵銃(カービン銃)など、状況に応じて使える銃器が誕生。また雨や雪の日でも使用できるホイールロック式の銃が生まれます。ホイールロック式銃は、ローラー状のやすりが回転し火打ち金をスプリングで押しつけて発火させるシステムです。
17世紀、火縄の必要がないフリントロック式銃が完成し、ヨーロッパでは約200年間、この銃が使用されました。

 

 

ドイツやスイスの射撃祭では銃が主役に

16世紀以降、新技術を搭載した銃は、ドイツやオーストリア、スイスの射撃祭の主役になっていきました。その理由はいくつか考えられます。

まず、ドイツ語圏の人びとに根づく実用性と精密さを重んじる気質があります。 戦場でより効率的に力を発揮する銃への移行が早く、訓練を兼ねた射撃祭(シュッツェンフェスト)が主流になりました。
また神聖ローマ帝国内の諸地域では、市民による自衛組織(市民軍・Schutzengilde)が早くから整備されていました。傭兵に頼らず町を守るという自立の精神が浸透していたため、銃の導入も比較的早かったとされています。
さらに、ザクセン州やチューリンゲン州など鉱物資源が豊富な地域では、銃器を生産する技術基盤がありました。
フランスなどの強国とたびたび戦火を交えたドイツやオーストリアは、近代的な武器を取り入れる必要性があり、銃の導入に拍車をかけたといえます。

こうした背景から、射撃祭の主役は銃へと移り変わっていったのです。

 

 

なぜ射撃祭はドイツやスイスで根づいたのか

中世ヨーロッパでは、城郭都市を中心に「自衛の文化」が広く根づいていました。
しかし、時代が進むにつれて多くの国では、王権や中央政府が力を強め、市民が武器を持つことを制限するようになっていきます。
特にフランスやスペインでは中央集権化が進み、軍事は国王直属の常備軍が担うようになりました。また、イタリアでは、都市国家が乱立していたものの、防衛は市民ではなく、外部から雇われた傭兵団(コンドッティエーレ)に任せるのが一般的でした。

その結果、町単位で市民が自ら武器を持ち訓練する文化は根づかず、やがてこうした国々では市民が武器を扱う伝統も次第に廃れていったのです。

一方で、神聖ローマ帝国のように多くの領邦国家が分立していた地域では、中央集権的な支配が及ばず、都市や地方の自治が長く保たれました。
各都市は自分たちの軍事力を維持しなければならず、市民による民兵組織(シュッツェンギルデ)が生まれます。
また、ドイツ文化の影響圏(ドイツ語圏)では精密技術と職人気質が発展しており、射撃は単なる防衛手段ではなく、技術と誇りの象徴として尊重されていました。

銃の発展はもちろん、技術や社会の変化が重なった結果、こうした社会的・文化的背景が形づくられ、「町を守るための射撃」は次第に「町の誇りを祝う射撃祭」へと変化していき、今なおドイツ、スイス、オーストリアなどで受け継がれているのです。

 

 

市民を魅了する華やかな射撃祭

ドイツやスイスの射撃団は、市民を守るという本来の役割を終え、現在はお祭りを盛り上げる存在になりました。欧州の歴史を伝える文化遺産として、連綿と続いています。
ドイツで「シュッツェンフェスト(Schutzenfest)」と呼ばれる射撃祭。
いったいどのように進行するのでしょうか。

 

(画像出典:Adobe Stock

 

 

大会の栄誉「射撃王」

射撃祭では「鳥打ち」というイベントが行われます。的となっている木製の鳥を打ち落としていく競技で、勝者はチャンピオンでも優勝者でもなく「射撃王」という称号を与えられます。
歴史的な理由で、射撃王は「町を守るにふさわしい一番の勇者」という意味合いがあり、町の人たちから祝福され、拍手喝采されます。

 

 

歴史的なコスチュームが華やかなパレード

射撃王や王妃を中心に、民族衣装や地域ごとのシンボルカラーの制服に身を包んだ人たちのパレードも射撃祭の目玉。マスケット銃や刀剣を手にした人たちが、鼓笛隊に合わせて行進します。紋章が描かれたカラフルな旗が風にひるがえり、まるで映画のような光景です。
都市によっては、地域対抗の射撃祭が開催されます。夫婦でも異なる地域の出身となれば、射撃祭シーズンはライバル同士に。各地域のシンボルカラーは、連帯と団結の象徴となります。

 

 

有名な射撃祭は?10日間も続く大イベントもある!

ドイツでは、ハノーヴァー、ミュンヘン、ハンブルグ、ノイスで開催される射撃祭が有名。ハノーヴァーの射撃祭は世界最大規模といわれ、1万人規模のパレードが行われます。毎年10日間も続く大イベントで、150万人が訪れるといわれています。ハノーヴァーの射撃祭は歴史が古く、起源は16世紀初頭。射撃競技に加え、音楽やビールによって大いに盛り上がります。

ミュンヘンの射撃祭は1810年から始まりました。ビールの祭典オクトーバーフェストのプログラムのひとつになっていて、バイエルン地方の民族衣装に身を包んだ人たちが町にあふれます。
その他、ハンブルク、ブレーメン、ノイスなどの射撃祭もよく知られています。
オーストリアで有名なのは、チロル地方の射撃祭。ハプスブルク家と縁が深いインスブルックで開催され、アルプスの山々に銃声と祝砲が鳴り響きます。
スイスでは、連邦射撃祭が国民的イベント。14世紀に始まった、石弓による射撃祭が起源です。

開催地を変えて5年ごとに行われ、全土から数万人が参加します。スイス独立の英雄ウィリアム・テルの故郷ニドヴァルデンは、強豪選手が多いことでも有名。スイス人兵士がバチカンの衛兵になっているのをご存じの方も多いと思いますが、身体能力が高く忠誠心が強いスイス人の本領を見ることができるお祭りです。

 

1910年にスイスのベルンで行われた射撃祭のポスター(画像出典:Wikimedia Commons

 

 

最後に

ヨーロッパの射撃祭は、スポーツとしてだけではなく、地域の防衛や団結のシンボルでした。ドイツやスイスは近代化が早く、技術を駆使した銃器による射撃が普及し、近代の歴史の一部となってきました。長い歴史の中で、地域の自治や自由を守るために活躍した射撃は、祭りの主役にふさわしい存在感を持ち続けています。
射撃祭を記念したさまざまなコインは、町の誇りや伝統を伝える大切な1枚。
複雑なヨーロッパの歴史と射撃祭との関係を、感じ取ってみてください。

 

 

スタッフのひとことコメント
A.Harada(コイン歴3年)

読み終えてみると、射撃祭が単なる競技やイベントではなく、町の歴史そのものだったことが伝わってきますね。
自分たちの自治や自由を守ってきた誇りが、形を変えながら今も受け継がれていると思うと、コインの見え方も変わってきます。
次に射撃祭の記念コインを手にするときは、その町の人びとが何を祝ってきたのか、少しだけ想像してみるのも良さそうです。
一枚の中に、地域の息づかいが感じられるかもしれません。

 

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