英仏が覇権をかけて争った17~18世紀の第2次百年戦争とは

英仏が覇権をかけて争った17~18世紀の第2次百年戦争とは

 

スタッフのひとことナビ
Mina Yoshii(コイン歴2年)
今回は、「もうひとつの百年戦争」とも呼ばれる、近世の英仏関係に目を向けたコラムなんですね。
中世の百年戦争はよく知られていますが、その後の時代にも、これほど長く続いた対立があったと考えると、少し意外に感じられるかもしれません。
国と国の関係が大きく揺れ動いていく中で、どのような背景や思惑が重なっていったのか――
そんな流れを思い浮かべながら読み進めていくと、見え方も少し変わってきそうです。

 

 

中世の「百年戦争」(1337~1453年)は有名ですが、実は近世にも似たような長期対立がありました。歴史家の中には、1689年から1815年にいたる126年間の英仏の衝突を「第2次百年戦争」と呼ぶ人もいます。

イギリスとフランスが戦争を繰り返していた点は中世の百年戦争と同様です。しかし第2次百年戦争は、他のヨーロッパ列強国を巻き込み、戦争がより複雑化しました。

第1次百年戦争との違いも踏まえて、1689年から始まった英仏の対立について解説します。

 

1689年に即位したウィリアム3世とメアリー2世。ウィリアム3世は反フランス政策で生涯を終始しました(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

もうひとつの「百年戦争」とは?2つの戦争の相似と相違

1337年から1453年まで続いた中世の百年戦争は、ジャンヌ・ダルクが活躍したことで有名です。第1次と第2次の百年戦争の間には、200年余という隔たりがあります。当然のことながらこの間、ヨーロッパの情勢は大きく変わりました。

2つの戦争にはどんな相似と相違があるのでしょうか。

 

スペインの無敵艦隊を破るイギリス海軍。スペインの斜陽とともにイギリスが興隆し始めた16世紀後半のアルマダ海戦(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

2つの百年戦争の相似ポイント

中世と近代の百年戦争の相似点は、イギリスとフランスが長期にわたって対立したという点にあります。どちらの戦争も、100年以上にわたって対立が続きました。

第1次百年戦争では、「イングランド人」と「フランス人」という国民意識が生まれました。第2次百年戦争は、王朝国家から近代国家への変化に拍車をかけました。

2国間の長い抗争が、国民意識を変えたという点では共通しています。

 

 

2つの百年戦争の相違ポイント

中世と近世の百年戦争には、決定的な違いがあります。

そのひとつが、戦争の目的です。
第1次百年戦争で争点となったのは、フランスの王位でした。フランス王家の縁戚であったイングランド王が、フランス王位を主張し、2国間で戦争が勃発。100年の英仏戦争の火種となりました。

一方の第2次百年戦争の争点は、ヨーロッパおよび植民地や海上における覇権です。1689年当時、フランスは太陽王と呼ばれたルイ14世の治世でした。絶対王政の頂点ともいわれ、領土拡張を進めていたルイ14世に対抗し、その侵略を阻止しようとしたのがイギリスのウィリアム3世です。物理的な領土拡張だけではなく、それに伴う商業活動の覇権をめぐり、2国が激しく対立しました。

第1次の場合は純粋にイングランドとフランスが争いましたが、第2次百年戦争は他国を巻き込んださまざまな戦争が起こっているのも大きな特徴です。さらに、当時のヨーロッパを席巻していたキリスト教会内の派閥争いも、国家間の闘争を複雑にしました。カトリックを信奉するフランスとプロテスタントのイギリスという構図も、この時代を象徴しているといえるでしょう。

 

 

第2次百年戦争が100年以上続いた理由は

第2次百年戦争が100年以上も続いた理由はどこにあるのでしょうか。
当時のヨーロッパの情勢とともに詳しく解説します。

 

イギリスの強さを世界に知らしめたトラファルガーの海戦(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

1689年当時の2国の情勢

第2次百年戦争が起こった1689年当時、イギリスとフランスはどのような状況にあったのでしょうか。

イギリスは、名誉革命(大規模な流血を伴わなかったことからこの名で呼ばれています)によってカトリック勢力が一掃され、プロテスタントのメアリー2世とウィリアム3世が即位しました。イギリスの歴史上唯一の、夫婦による共同統治の時代が始まりました。

ウィリアム3世は、オランダ共和国総督を務める貴族(オラニエ家)の出身。当時のオランダは、フランス王ルイ14世による侵略によって国家存亡の危機を迎えていました。若くしてオランダ軍の総司令官となったウィリアム3世にとって、ルイ14世は宿敵。イギリス王として即位後まもなく、フランスに宣戦布告します。ウィリアム3世の生涯は、反ルイ14世に終始したといっても過言ではありません。

一方のフランスは、絶対王政のシンボルともいえるルイ14世の時代。1643年から1715年という長い治世において、まさに絶頂期を迎えていました。「朕は国家なり」という王権神授説のもと、領土拡大を目的とした侵略戦争を繰り返していました。

 

 

ヨーロッパ各国を巻き込んだ複数の戦争が多発した時代

イングランドとフランスが争った第1次百年戦争と異なり、第2次百年戦争は2国が単独で争ったのではない、という点が特徴です。

この時代の主要な戦争とその特徴をわかりやすく表にすると、このようになります。

戦争名 時期 特徴
大同盟戦争 1688~1697年

フランス
vs
イギリスを含むアウクスブルク同盟

スペイン継承戦争 1701~1714年 フランス
vs
イギリス・オーストリア
オーストリア継承戦争 1740~1748年 プロイセン(フランスはこちら側)
vs
オーストリア(イギリスはこちら側)
アメリカ独立戦争 1775~1783年 イギリス
vs
アメリカ(フランスはこちら側)
フランス革命戦争 1792~1802年 フランス
vs
ヨーロッパ諸国
ナポレオン戦争 1803~1815年 フランス
vs
対仏同盟

 

 

決定打に欠けていたことが長期化の理由

第2次百年戦争当時、ヨーロッパの列強といえばイギリス、フランス、オーストリア、プロイセン、ロシアが挙げられます。プロイセンはフリードリヒ大王によって編成された圧倒的な軍事力があり、オーストリアは中世初期から続く名門としての権威を持っていました。またロシアは、ピュートル大帝の西欧化対策や領土拡大によって、ヨーロッパに大きな影響を与えるようになっていました。

イギリスとフランスは、他の3国を圧する植民地政策が功を奏し、経済力とそれに支えられていた軍事力において、拮抗していました。そのため、100年の間にさまざまな戦争で対立したにもかかわらず、決定的な勝負がつかない状態が続きました。

 

 

第2次百年戦争の終結とその後のヨーロッパ

第2次百年戦争は、1815年に終結します。ナポレオンの敗北を機に、ヨーロッパの勢力図は大きく変わりました。

1815年、ナポレオンがワーテルローの戦いで大敗。フランスの第一帝政の崩壊によって、イギリスが勝利する形で第2次百年戦争は一応の終結となりました。イギリスはその後、産業革命を経て、ヨーロッパの大国へと成長します。「世界の工場」となり、「七つの海を支配する国」となりました。

フランスは、ナポレオン失脚後に政権が安定せず、ナポレオン1世の甥ナポレオン3世の第二帝政を経て、共和制へとたどり着きます。

隣国同士の常で、イギリスとフランスは現在にいたるまで、ライバルであったり良き隣人であったりという歴史を繰り返しています。時代ごとに変化する2国間の関係は、これからも新たな歴史を刻んでいくことでしょう。

 

第2次百年戦争の終わりを告げたワーテルローの戦い(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

スタッフのひとことコメント
S.Mori(コイン歴3年)
長い時間をかけて続いた対立の中で、国同士の力関係や立ち位置が少しずつ変わっていく様子が印象に残りますね。
一つひとつの戦争だけでなく、それらが連なっていく流れとして眺めてみると、歴史の奥行きがより感じられるような気がします。
これまで断片的に捉えていた出来事も、どこかでつながっていたのかもしれないと思うと、また違った視点で振り返ってみたくなりますね。

 

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