コインというメディアに刻まれた美しきヴィクトリア女王、高評価の理由は?

コインというメディアに刻まれた美しきヴィクトリア女王、高評価の理由は?

 

スタッフのひとことナビ
Mina Yoshii(コイン歴2年)
今回は、コイン蒐集をする人ならおなじみのヴィクトリア女王について、あらためて目を向けてみるコラムなんですね。
ヴィクトリア女王のコインは人気ですが、女王その人を知ると、その人気にも自然と頷けます。
コインに描かれた人物を知っていくと、いつものコインが少し違って見えてきますよね。そんな視点で、読み進めてみてください。

 

 

63年に渡るヴィクトリア女王の時代には、さまざまなコインが発行されました。
「世界一美しいコイン」といわれる「ウナとライオン」金貨は、ヴィクトリア女王の時代に発行されたものです。

ウナとライオンの金貨以外にも、ヴィクトリア女王の横顔がデザインされたコインが多数あります。各国の君主が描かれたコインの中でも、ヴィクトリア女王の美しさが突出している理由はなんでしょうか。

ヴィクトリア女王をより深く知るためのエピソードとともに、楽しく解説します。

 

大英帝国の女王として君臨したヴィクトリア女王(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

コインは君主の威信を示すプロパガンダだった?小さなメディアに込められた理想の美

ヴィクトリア女王のコインの中でも、ヤングヘッドと呼ばれる初期のタイプは、とくに高い人気を誇ります。なぜ、若きヴィクトリア女王がデザインされたコインは高評価なのか、その理由を解説します。

 

女王になることを告げられる10代のヴィクトリア(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

希代のデザイナー、ウィリアム・ワイオンの存在!

ヴィクトリア女王のヤングヘッドが不動の人気を誇る第一の理由、それはウィリアム・ワイオンがデザインしたためです。

ウィリアム・ワイオンは伝説的な「ウナとライオン」のデザイナー。
1795年生まれのワイオンは、14歳で父ピーター・ワイオンの弟子となり、彫刻家への道を歩みだします。
25歳で王立造幣局の彫刻師補佐となり、33歳でチーフデザイナーとなるなど、早熟の才を示しました。

コインの世界では伝説となっている鬼才、ウィリアム・ワイオンによって若きヴィクトリア女王の輝きが数々のコインに描かれたのです。

 

 

新古典主義様式による理想美!

ヴィクトリア女王の時代は、ヨーロッパに新古典主義(ネオクラシック様式)が花開いた時代。古代ギリシアやローマの美術を規範として、秩序やバランスを重視した作風が、新古典主義の特徴です。

ウィリアム・ワイオンは、まさに新古典主義の波に乗ってヴィクトリア女王を描きました。
若々しさ、凛々しさ、純潔、君主としての威風、それらがすべて、小さな1枚のコインに込められています。

完璧なプロポーションとシンプルにまとめられた髪型によって、理想的な若い女王像が生まれたのです。

 

 

肖像芸術としての価値の高さ!

私たちにとってコインは通貨ですが、当時は肖像芸術のひとつでした。コインの発行は、君主にとって王権を誇示するためのプロパガンダであり、メディアとして活用していたのです。
ワイオンによって理想化されたヴィクトリア女王のコインは、その役割を立派に果たせる高い芸術性を持っていました。

19世紀後半になると写真が普及し、君主の本当の姿が多くの人の目に触れるようになります。ヴィクトリア女王の若かった時代、それが肖像芸術としてのコインの最後の輝きでした。

 

 

コインからはわからない?ヴィクトリア女王のエピソードを紹介

晩年のヴィクトリア女王(画像出典:Wikimedia Commons)。

七つの海を制した大英帝国の女王ヴィクトリア。
コインに描かれた美しい女王からは想像もできないさまざまなエピソードがあるのをご存じでしょうか。
ヴィクトリア女王を知れば、彼女に関連するコインを見る目も変わるはず。
ヴィクトリア女王にまつわる楽しい逸話をご紹介します。


 

ヴィクトリアは待ち望まれた跡継ぎだった

ヴィクトリア女王の父親は、王ではありませんでした。彼女の誕生と即位には、当時の王室の複雑な事情があります。

ヴィクトリアの祖父ジョージ3世は、15人もの子どもがいました。
しかし不肖の子が多く、多くの王子や王女がスキャンダルまみれに。王妃と不仲だったり、庶子しかできなかったりと、跡継ぎ問題が浮上します。ジョージ3世は王室の将来を憂えて、精神を病んでしまったほどでした。

ヴィクトリアはジョージ3世の4男の娘です。政略結婚によってようやく生まれた跡継ぎでした。ジョージ4世、ウィリアム4世という2人の叔父に嫡子がなかったため、そのあとを継いで女王になったのです。

 

 

ヴィクトリア女王は熱愛型の女性だった?

ヴィクトリア女王は20歳の時、同じ年のアルバートと結婚。夫婦仲はとてもよく、9人の子どもが生まれました。夫のアルバートが42歳の若さで亡くなったときのヴィクトリア女王の嘆きは深く、生涯喪服を手放さなかったほどでした。

そんなヴィクトリア、結婚前は美男子で有名なメルバーン伯爵に熱烈な恋心を抱いていたのでは?といわれています。即位当時のヴィクトリアの日記には、毎日のようにメルバーンを思う気持ちが吐露されていたと伝えられています。

また寡婦となってからのヴィクトリア女王にも、スキャンダルがあります。
従者のジョン・ブラウンと噂に上るほど距離を縮めていた時期があり、ヴィクトリア女王は「ブラウン夫人」と揶揄されました。
この関係は有名で、1997年の『クイーン・ヴィクトリア -至上の恋- 』という映画にもなっています。

 

喪服を着たヴィクトリア女王とジョン・ブラウン(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

ヴィクトリア女王はドイツ人だった!

地続きのヨーロッパでは珍しくありませんが、イギリスの女王ヴィクトリアはほぼドイツ人。そもそも彼女の家系ハノーヴァー王朝は、スチュアート王朝が絶えた後、わずかな縁がきっかけでドイツの選帝侯から王に迎えられたジョージ1世から始まります。

ヴィクトリアの母はザクセン=コーブルク=ザールフェルト公国の公女、夫のアルバートもザクセン=コーブルク=ゴータ公国の公子。いずれも、現在のドイツの一部となっている地域出身です。
ヴィクトリアとその家族の血統は、ほぼドイツ人といって過言ではないのです。

 

 

ヴィクトリア女王はウェディングドレスの創始者?

ウェディングドレスといえばホワイトが定番。実はこの習慣の祖となったのが、ヴィクトリア女王といわれています。
それまでの結婚式では、金色や赤などの華やかなドレスを着るのが通常でした。ヴィクトリア女王がホワイトのサテンドレスを着たことが知られるようになり、現在の定番となったのだとか。

華やかな衣装に身を包んだ貴婦人が多い宮廷で、ヴィクトリア女王の真っ白な衣装はさぞかし印象的だったことでしょう。

 

 

「ヨーロッパの祖母」と呼ばれるほど華麗な縁戚関係!

ヴィクトリアは9人の子どもを持ちました。彼らが次々と欧州の王侯貴族と結婚したため、孫たちの多くが有名な君主や妃になりました。

ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、イギリス王ジョージ5世、ロシア最後の皇后アレクサンドラなどはその例。またひ孫にはギリシア王もいます。

ヴィクトリアの祖父ジョージ3世は跡継ぎで悩みましたが、ヴィクトリア自身はその血脈をヨーロッパ全土に広げたことになります。

 

 

息子との仲はイマイチ?理想的な女王の母親としての姿は?

ワイオンによって理想的な女性に描かれたヴィクトリア女王。実生活では悩みもありました。

それが、長男エドワードとの不仲です。ヴィクトリアは夫のアルバートを理想とするあまり、享楽的なエドワードとは相性が悪かったようです。夫の死の原因も、エドワードの奔放な女性関係にあると信じていたと伝えられています。

ヴィクトリア女王は81歳という長生きをしたため、エドワードは59歳まで皇太子でした。還暦を前にエドワード7世として即位した彼は、外交手腕に優れて、ヨーロッパの平和に寄与しています。

 

 

理想的に描かれたヴィクトリア女王の実生活を知るのも楽しい!

繁栄を極めた大英帝国の君主として、コインに美しい姿を残したヴィクトリア女王。

実際の女王には生身の人間としての悩みがあり、数々のエピソードも残されています。
コインからは読み取れない女王の魅力を知って、さらに女王のコインを愛してください!

 

 

スタッフのひとことコメント
A.Harada(コイン歴3年)
新たな発見も多く、楽しく読み進められる内容でした。
これまではコインの美しさや歴史に目が向きがちでしたが、その裏にある人物像や時代の背景を知ることで、また違った面白さを感じられそうです。
次にヴィクトリア女王のコインを見るときは、どんな思いでこの姿が刻まれたのか、少し想像しながら眺めてみるのも良さそうですね。
いつもとは少し違った魅力が、ふと見えてくるかもしれません。

 

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