巨匠によって永遠の命を得たハプスブルク家の美女3人!その数奇な運命を知ろう
一枚の肖像画の奥には、その時代の空気や、描かれた人の人生までもが静かに映り込んでいるように感じられます。
華やかに見える肖像のなかに、どんな物語が重なっているのか――そんなことを思い浮かべながら読み進めていくと、また違った印象が見えてきそうです。
700年もの間、ヨーロッパの歴史に大きな足跡を残したハプスブルク家。戦争よりも結婚政策で領土を拡大したハプスブルク家は、芸術のパトロンとしての役目も果たしました。
ハプスブルク家の名作のコレクションのなかには、巨匠たちによる肖像画も数多く残っています。
一流の芸術家によって描かれた女性たちは、永遠の命を得て、今も生き生きとした姿を私たちに見せてくれます。
ルネサンス時代から近世まで、3人の美女たちをご紹介します。

バロックの巨匠ベラスケスが描いた5歳ごろの王女マルガリータ。スペイン系ハプスブルク家の王女であり、神聖ローマ皇帝レオポルド1世の妃となりました(画像出典:Wikimedia Commons)。
❖カール5世(スペイン王カルロス1世)妃イザベル ── ティツィアーノ
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠ティツィアーノは、宗教画やギリシャ神話をテーマにした作品を数多く残しましたが、肖像画の傑作も多数あります。
神聖ローマ皇帝カール5世は「我が家族を描くのはティツィアーノのみ」と語ったほど、ティツィアーノを重用したことで有名です。カール5世の愛妻イザベルも、ティツィアーノによって高貴な姿を今に残しています。

神聖ローマ皇帝カール5世の妃イザベルはポルトガルの王女。貴族らしい青白い肌が印象的ですが、イザベルの死後に描かれたためともいわれています(画像出典:Wikimedia Commons)。
欠点を隠さず、なおかつ実物以上の美を引き出した巨匠ティツィアーノ
写真がなかった時代、肖像画は王侯貴族間のお見合い写真やアルバムの役割を果たしていました。しかし、モデルがいつも美形であるとは限りません。肖像画家の世界では、理想美を目指すあまり、モデルの個性が失われ、みな同じような顔立ちの肖像画になることも珍しくありませんでした。
しかし、ティツィアーノは、モデルの欠点はそのまま描くのに、実物以上の美しさを表現できるという稀有な才能の持ち主でした。王や皇帝にふさわしい尊厳を感じさせる肖像画にカール5世は感動し、ティツィアーノに数多くの肖像画を依頼しています。
カール5世は、典型的なハプスブルク家の容貌の持ち主で、尖った顎が特徴。ティツィアーノはその特徴を否定せず、皇帝らしい威厳を表現しています。

ティツィアーノ作『カール5世騎馬像』(画像出典:Wikimedia Commons)
カール5世の妃イザベルとは
カール5世の妃イザベルは、ポルトガルの王女でした。カール5世の母フアナと、イザベルの母マリアは姉妹であったため、2人はいとこ同士。典型的な政略結婚でした。
カール5世の父フィリップは大変なプレイボーイでしたが、カール5世はまじめな性格で、イザベルとの夫婦仲はとてもよかったと伝えられています。2人の間には、跡継ぎのフェリペ2世をはじめ、6人の子どもが生まれました(3人は早逝)。
皇妃イザベルは、第6子出産時に難産がもとで亡くなりました。35歳の若さでした。愛妻を失ったカール5世は39歳という壮年でしたが、イザベル亡き後は再婚することもなく、一生黒い服を身に着けていたと伝えられています。

ティツィアーノが描いたオリジナルは消失、ルーベンスが模写した夫妻の絵が残されています(画像出典:Wikimedia Commons)。
❖スペイン・ハプスブルク家王女マルガリータ ── ベラスケス
西洋美術史において、もっとも有名な作品のひとつと名高い『ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)』。ピカソやラヴェルをはじめとする後世の芸術家に大きな影響を与えた作品の中心にいるのがスペイン王女マルガリータです。
衰退に向かっていたスペイン・ハプスブルク家において、希望の星でもあったマルガリータは、今もベラスケスの絵のなかで可憐な姿を見せています。

西洋美術史上、不朽の名作といわれるベラスケス作『ラス・メニーナス』(画像出典:Wikimedia Commons)。
王の最良の友人にして宮廷最高の画家
バロックの巨匠と呼ばれるベラスケスは、スペイン・ハプスブルク家のフェリペ4世に仕えた宮廷画家でした。王と宮廷画家という関係にとどまらず、ベラスケスはフェリペ4世の最良の友人として、心の支えになったと伝えられています。
フェリペ4世の家族の肖像画にとどまらず、宮廷に仕える小人や道化たちの姿も人間の尊厳を持って描き、後世の芸術家に大きな影響を与えました。
ベラスケスが描いた王女マルガリータの「お見合い写真」
マルガリータ王女は、フェリペ4世の娘です。異母姉には、太陽王ルイ14世の王妃となったマリア・テレサ(フランス語名はマリー・テレーズ)がいます。

マルガリータ王女、3歳のころ。宮廷の庭でバラの花を見るのが好きだったといわれています(画像出典:Wikimedia Commons)。
マルガリータは父フェリペ4世が46歳の時に生まれた子どもであったため、父の溺愛を受けて育ちました。近親結婚を重ねていたハプスブルク家では、王子女がなかなか育たなかったこともあり、すくすくと育つマルガリータは宮廷の喜びでもありました。

マルガリータ王女、8歳のころ(画像出典:Wikimedia Commons)。
ベラスケス死後のマルガリータの肖像
ベラスケスは1660年に亡くなります。このとき王女マルガリータは9歳。9歳以降のマルガリータの肖像画は天才ベラスケスの手を離れて、形式的な様式を守る宮廷画家たちによって描かれるようになります。その差は歴然で、マルガリータはハプスブルク家の人びとの特徴が顕著な顔立ちになっています。
15歳でレオポルド1世と結婚したマルガリータは、短期間に6度も妊娠(出産に至ったのは4回)。最後のお産の際、21歳という若さで亡くなりました。無事に成人したのは、娘のマリア・アントニア1人だけでした。
短命だったマルガリータ王女は、ベラスケスによって、永遠の輝きのなかに生き続けています。

神聖ローマ皇帝レオポルド1世の妃となったマルガリータ。娘のマリア・アントニアとともに(ヤン・トマス・ファン・イーペレン作)(画像出典:Wikimedia Commons)。
❖フランツ・ヨーゼフ1世妃エリーザベト ── ヴィンターハルター
欧州随一の美貌と称えられたフランツ・ヨーゼフ1世の妃エリーザベト(愛称シシィ)。たぐいまれなる美貌と数奇な運命は、世紀末のハプスブルク家の衰運とともに、小説や映画になるほどドラマチックです。日本では宝塚でも、ミュージカル『エリザベート』として、エリーザベトをテーマにした演目が人気を博しました。
ヴィンターハルターの肖像画は、ハプスブルク家の威信をかけたプロパガンダとしての役割も果たしました。

日本でも人気が高い皇妃エリーザベト。ヴィンターハルターによる肖像画(画像出典:Wikimedia Commons)。
欧州の貴婦人から肖像画の注文が殺到したヴィンターハルター
ヴィンターハルターは、19世紀のヨーロッパで絶大な人気を誇った画家です。理想美と実際のモデルの特徴のバランスが絶妙で、王侯貴族は競ってヴィンターハルターに肖像画を注文しました。

皇妃エリーザベトと美貌を競ったといわれるナポレオン3世妃ウジェニー。この作品もヴィンターハルター作です(画像出典:Wikimedia Commons)。
ヴィンターハルターの顧客には、フランス皇帝一家、イギリス王室、ベルギー王室、ロシア皇室、プロイセン王室、そしてハプスブルク家が名を連ねるという華やかさ。
ヴィンターハルターが手掛けた数々の肖像画の中でも、もっとも有名な作品が皇妃エリーザベトを描いたものです。

ヴィンターハルターが描いた20代後半の皇妃エリーザベト(画像出典:Wikimedia Commons)。
ハプスブルク家の女神にふさわしい美貌
王侯貴族を描く肖像画家たちは、本物よりも「盛って」描くのが通常でした。しかし写真が登場した19世紀、実物と肖像画の差は歴然というケースも多くなります。

ヴィンターハルター作『髪をほどいたオーストリア皇妃エリーザベト』。髪を解いた妖艶な姿は当時から大いに話題になりました(画像出典:Wikipedia)。
エリーザベトは、残された写真を見ても、ヴィンターハルターが決して「盛って」いなかったことがわかります。
エリーザベトはこの美貌に加え、身長172cm、体重45~50kgという、スーパーモデル顔負けの体型を維持。ご自慢の髪のお手入れには数時間を要したといわれています。

写真に残されたエリーザベトの姿(画像出典:Wikipedia)。
ハプスブルク家の終焉を感じさせるさまざまな不幸に見舞われた皇妃
バイエルン公女だったエリーザベトは、自由を愛する天真爛漫な少女でした。本来は、エリーザベトの姉ヘレーネがフランツ・ヨーゼフと結婚する予定でしたが、フランツ・ヨーゼフはお見合いの席に同席した妹のエリーザベトに一目ぼれ。彼の強い意志によって、エリーザベトは皇妃となりました。16歳のエリーザベトは、「この方が皇帝でなかったらよかったのに」とつぶやいたといわれています。
堅苦しいハプスブルク家の宮廷で、エリーザベトは叔母であり姑でもあるゾフィーと対立。生まれた子どもはゾフィーに取り上げられ、エリーザベトはウィーンの宮廷を後にして、ヨーロッパ各地を旅してまわるようになります。
夫フランツ・ヨーゼフはそんな彼女を終生愛し、2人の間には4人の子どもが生まれました(1人は早逝)。しかし、現実的で厳格なフランツ・ヨーゼフと、夢想的な皇妃は相いれないことも多く、エリーザベトは心を通わせる友として、従姉弟のバイエルン王ルートヴィヒ2世と交流し、安らぎを得ていました。

エリーザベトの心の友、バイエルン王ルートヴィヒ2世。身長190cm、若いころは美男として有名でした(画像出典:Wikimedia Commons)。
しかし、1886年にルートヴィヒ2世は精神の病を口実に幽閉され、謎の死を遂げます。
1889年には、たった1人の息子ルドルフがマイヤーリンクで自殺(他殺説もあり)。数々の不幸に耐えられなくなったエリーザベトはますます放浪癖が激しくなり、1898年には彼女自身もスイスで暗殺されました。
オーストリア皇妃が無政府主義者に刺殺されるという、衝撃的な終焉を迎えたのです。
ドラマチックな人生によって、エリーザベトの美貌は伝説となり、現代の私たちも魅了し続けています。
最後に
700年におよぶ歴史を持つハプスブルク家。
同家の歴史を支えた人びとの中には、巨匠と呼ばれる芸術家によってその姿が残された人もいます。
時代とともに生きたハプスブルク家の美しい女性たち。ぜひ、ハプスブルク家の複雑な歴史を知るきっかけにしてみてください。
同じ「美しさ」でも、その背景にある人生によって、どこか印象が変わって見えてくるのが不思議ですね。
絵の中では変わらない姿のままでも、その向こう側にある物語に思いを巡らせると、少し違った距離感で眺められるような気がします。
次に肖像画を見るときは、その静かな時間の重なりにも、自然と目が向いていきそうですね。