英国王室の信頼を盤石にしたハンサムな王:ジョージ6世
今回は、ジョージ6世という一人の国王に目を向けてみるコラムなんですね。エリザベス2世の父として知られていますが、その人生をたどると、王になるはずではなかった一人の男性が、大きな時代の変化の中で懸命に役割を果たしていたことが見えてきます。
第二次世界大戦や大英帝国の変容といった歴史の転換点に立ちながら、国民の信頼を支え続けた姿は、現代の英国王室にもつながるものを感じさせます。コインに刻まれた端正な姿の奥にある人柄や歩みを思い浮かべながら読み進めてみてください。
英国民から敬愛される近代的な王室の基礎を築いたジョージ6世。
兄エドワード8世の突然の退位に伴い即位したジョージ6世は、王にふさわしい高潔な精神で、未曽有の国難を国民とともに乗り切りました。
近代的な王としての振る舞いと端整な容姿は、娘エリザベス2世に受け継がれ、英国王室の威信は不動のものとなりました。
ジョージ6世が生きた時代と彼の功績について、わかりやすく解説します。

40代前半のジョージ6世(画像出典:Wikimedia Commons)
❖ジョージ6世の人生概略
| 1895年 | ジョージ5世の2男として誕生 |
| 1909年~1912年 | 海軍兵学校で学ぶ |
| 1916年 | 第1次世界大戦においてユトランド沖海戦に参戦 |
| 1919年 | ケンブリッジ大学で歴史学、経済学などを学ぶ |
| 1920年 | ヨーク公に叙される |
| 1923年 | スコットランド貴族の娘エリザベス・ボーズ=ライアンと結婚 |
| 1936年 | 兄エドワード8世の退位を受けてイギリス王ジョージ6世として即位 |
| 1939年 | 北米を訪問、外交面で活躍 |
| 1939年 | 9月3日、映画『英国王のスピーチ』で有名になった伝説的な演説をラジオで行い、国民の支持を得る |
| 1939年~1945年 | 軍や戦災地を頻繁に訪れ、国民と苦難をともにし続ける |
| 1947年 | インドの独立に伴いインド皇帝位を放棄 |
| 1949年 | イギリス連邦(コモンウェルス)発足、初代首長となる |
| 1952年 | 長年の健康悪化の末、56歳で崩御 |
時代背景:2つの世界大戦のはざまで起きた英国王室の危機と克服
ジョージ6世が歩んだ1895年から1952年は、イギリスが大英帝国からイギリス連邦(コモンウェルス)へと移行した激動の時代でした。さらに、彼が即位したのは二つの世界大戦に挟まれた戦間期。20世紀最大の混乱期において、イギリス国王としての責務を真摯に果たしたのがジョージ6世でした。
本来は王になる立場ではなかったジョージ6世の即位には、次のような経緯があります。
1936年、父ジョージ5世が崩御。跡を継いで即位したのは兄のエドワード8世でした。ハンサムで朗らかな王子として国民的人気を誇った彼でしたが、アメリカ人女性シンプソン夫人との結婚を選択し、いわゆる“王冠を賭けた恋”によって退位を宣言します。代わって弟のジョージ6世が即位することとなり、1936年は歴史上「三人の国王の年」として刻まれることになったのです。
王室の伝統に背を向けたエドワード8世の退位は、英国王室の威信を大きく揺るがしました。
兄から王位を受け継いだジョージ6世は、幼少期からの吃音という困難を不屈の精神で乗り越え、第二次世界大戦中も常に国民の傍らに立ち続けました。その誠実な姿は、近代的な立憲君主の理想像を体現するものとして人々の心に深く刻まれたのです。このエピソードは、映画『英国王のスピーチ』でよく知られています。
古い帝国から新しい国家へと変貌を遂げるイギリスを支え抜いたジョージ6世。
王としての高潔な振る舞いは、愛娘エリザベス2世へと継承され、現代へと続く英国王室の威信を盤石なものにしました。

エドワード8世の退位宣言書(画像出典:Wikimedia Commons)
❖ジョージ6世の生涯と功績
貴族的な風貌が魅力的なジョージ6世。彼はどのような功績を残したのでしょうか。
ジョージ6世の生涯を追いながら、その功績を解説します。

即位後まもないころのジョージ6世(画像出典:Wikimedia Commons)
幼少期~青年期:軍人として歩み
ジョージ6世は、1895年12月24日、イギリス王ジョージ5世の次男として誕生しました。
誕生時に与えられた名前は、アルバート・フレデリック・アーサー・ジョージ。曾祖父エドワード7世の愛称にちなんでアルバートと呼ばれていた彼は、幼少期から海軍軍人になることが期待されていました。即位時にジョージ6世という名前になったのは、国民に愛された父ジョージ5世にちなんだといわれています。(混乱を避けるため以後はジョージ6世で統一します)
1909年、13歳で海軍兵学校に入学したジョージ6世は、後に海軍に入隊。
1916年、第一次世界大戦における最大の海戦「ユトランド沖海戦」に参戦しました。戦闘中の勇気ある行動は、報告書で高く評価されています。
1919年には英国王室メンバーとして初めて飛行免許を取得しています。
第1次世界大戦終了後、ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで歴史学や経済学を修め、公人としての素養を養いました。
ヨーク公時代:社会貢献と個人的な試練
1920年、ジョージ6世はヨーク公爵に叙され、ヨーク公アルバートと呼ばれるようになりました。年齢も25歳になっていた彼は、この頃から公務を本格化させます。
ジョージ6世は、ヨーク公爵時代から慈善活動に熱心に取り組んでいました。1921年から1939年まで、異なる社会階層の少年たちの交流を支援し、社会の壁を取り払う先駆的な試みを行っています。
1923年、スコットランド貴族の令嬢エリザベス・ボーズ=ライアンと結婚。二人の娘(後のエリザベス2世とマーガレット王女)と共に穏やかな家庭を築きます。
一方で、幼少期からの深刻な吃音という課題に対し、1925年からは言語療法士ライオネル・ローグのもとで治療を開始。不屈の意志で克服に努めるなど、誠実な努力を重ねました。
国王即位と第二次世界大戦:不屈のリーダーシップを発揮
1936年12月、イギリス王室は激震に襲われます。
1月、父ジョージ5世の崩御に伴い、エドワード8世が即位。しかし同年12月、“王冠を賭けた恋”によって退位します。兄エドワード8世の譲位に伴い、ジョージ6世は予期せぬ形で王となりました。
内気であったといわれるジョージ6世ですが、誠実な人柄によって、前王の退位により揺らいだ王室への信頼を回復させました。
1939年には英国君主として初めてアメリカ合衆国を訪問し、ルーズベルト大統領との個人的な友情を背景に米英協力の基盤を構築。同年、第二次世界大戦が勃発すると、ラジオ演説によって国民を励ましました。
1940年のドイツ軍による空爆下でもロンドンに留まることを選択し、被災地の人々に寄り添う姿勢を示したことで、国民との間に強固な連帯を築いたのです。
晩年:帝国の変容と平和への貢献
戦後、イギリスは大きな転換期を迎えます。世界大戦で勝利したとはいえ、財政が破綻寸前まで追い込まれ、国民生活は戦時中以上の激しい物資不足 に苦しむことになりました。のちに娘のエリザベス2世が即位した際、国家の財政逼迫により、通例であるはずの戴冠記念金貨が一般向けに発行できなかったほど、状況は深刻なものであったと伝えられています。
そうした国家の危機において、ジョージ6世はさまざまな英断を行いました。
1947年、インドとパキスタンの独立に伴い、ジョージ6世はヴィクトリア女王以降、イギリス王が継承してきた「インド皇帝」の称号を放棄します。
1949年、大英帝国が「コモンウェルス(イギリス連邦)」へと移行する中で、象徴的な首長として承認されました。世界中の植民地で起こった独立運動の流血を最小限にとどめ、平和的な国家連合への移行のため、ジョージ6世は政府とともに対応し続けました。
1952年2月6日、長年の激務による健康悪化の末、56歳で崩御。ロンドンのウェストミンスター寺院に安置されたジョージ6世の亡骸のもとには、30万人ものイギリス人が弔意を表すために訪れたといわれています。
望まぬ王位という「義務」を重く受け止め、自らの課題を克服しながら国民と共に困難に立ち向かった誠実な君主として、現在も尊崇されています。
❖ジョージ6世をより深く知るための意外な事実!
20世紀の君主として、理想像を作り上げたジョージ6世。その影には、人間味あふれるエピソードがありました。ジョージ6世の魅力を知るための逸話をご紹介します。

1939年、アメリカ訪問時のジョージ6世夫妻(中央)と、白いスーツ姿のフランクリン・ルーズベルト大統領夫妻(画像出典:Wikimedia Commons)。
敬虔なキリスト教徒&熱心なフリーメイソン
“フリーメイソン”という言葉はよく耳にしますが、実態を知っている方は少ないかもしれません。
フリーメイソンの起源には諸説あります。近代的な組織としては18世紀のイギリスが発祥、人道主義を身上としていることで知られています。英国王室のメンバーがフリーメイソンになる例は多く、現在はケント公エドワード王子が名を連ねています。
ジョージ6世は非常に真面目な性格であり、敬虔なキリスト教徒であると同時に、人道主義を信奉するフリーメイソンでした。
ウィンブルドン大会に出場!
イギリスで行われるテニスの大会ウィンブルドン。
1926年、ヨーク公時代のジョージ6世は、親友のルイス・グレッグと組んでダブルスの試合に出場しました。
結果は残念ながらストレート負けでしたが、イギリス王室の中でウィンブルドンのコートに選手として立ったのは、現在に至るまでジョージ6世だけです。
ホットドッグ外交を楽しんだイギリスの君主
1939年、ジョージ6世は北米を訪問。
ルーズベルト大統領はニューヨークの私邸でのピクニックという形で彼を歓迎しました。
そこで紙皿に載せて出されたのがホットドッグです。ジョージ6世はこれを大変気に入り、おかわりをしたと伝えられています。王妃エリザベスは、手で直接食べるスタイルに戸惑い、ナイフとフォークを使ったという微笑ましいエピソードも残っています。
家族の絆を大切にしたジョージ6世の口癖「私たち4人(We four)」
ジョージ6世は愛妻家として知られ、エリザベス2世とマーガレット王女を慈しむ理想的な父親でもありました。
彼は常に「We Four(私たち4人)」という言葉を口にし、家族の絆を大切にしました。仲睦まじい家族の姿は、イギリス社会における家族像の模範として国民から深く愛されたのです。
❖最後に
兄エドワード8世の退位によって、予期せぬ王位に就くことになったジョージ6世。吃音という困難を努力によって乗り越え、大戦下では国民を支え、励まし続けました。映画『英国王のスピーチ』で描かれたジョージ6世の誠実な姿は、英国王室に対する国民の信頼を盤石なものにしました。
娘エリザベス2世にも伝えられた君主としての理想像。コインにも刻まれた高貴な容姿とともに、人びとの心に刻まれています。
読み終えてみると、ジョージ6世が英国王室の歴史の中で果たした役割の大きさをあらためて感じますね。王になることを望んでいたわけではなくても、自らの立場を受け入れ、国民のために務めを果たし続けた姿がとても印象的でした。
エリザベス2世は「責任感の強い君主」として知られていますが、その原点には父ジョージ6世の姿があったのかもしれません。ジョージ6世の娘だからこそのエリザベス2世と言うべきか、あるいはエリザベス2世の父だからこそのジョージ6世と言うべきか、親子の歩みはどこか重なって見えてきます。
コインに刻まれた気品ある肖像を眺めながら、そんな親子のつながりに思いを巡らせてみるのも面白そうですね。