日本人が感じるヨーロッパ史の素朴な疑問~皇帝なのに金欠?女王がいない国のなぜ?
今回は、アンティークコインをきっかけに見えてくる、西洋史のちょっと不思議な部分に触れていくコラムなんですね。
「皇帝なのにお金がない」「国によって女王がいたり、いなかったりする」――そんな素朴な疑問も、背景をたどっていくと、その時代の事情や人々の価値観が少しずつ見えてきます。
歴史上の王や皇帝というと、どこか遠い存在のように感じますが、資金繰りに悩んだり、相続問題で頭を抱えたりする姿には、意外と人間らしさもありますよね。
コインに描かれた人物や国名を眺めながら読むと、また違った面白さが見えてきそうです。
アンティークコインを手に取り、歴史的背景を知るたびに、さまざまな疑問を持つ方も多いと思います。ヨーロッパの歴史には、世界史の教科書でも説明してくれなかった不思議が多数あります。
コインを集め始めた人にも、これから集めようと興味を持っている人にも興味深い西洋史の「なぜ?」。
その疑問にお答えいたします。

神聖ローマ皇帝の前で債権を焼き捨てて恩を売る銀行家アントン・フッガー(画像出典:Wikimedia Commons)。
❖王も皇帝も金欠状態?華やかな称号と貧弱な金庫
「王様」や「皇帝」という言葉を聞いて思い浮かべるのは、豪華な暮らしぶり。お金に困ることなく、華やかな宮廷の中心で優雅に暮らしていた、というイメージがあります。
ところが実際には、常に金欠に悩まされた皇帝や、「失地王」という不名誉な呼び名を持つ王様もいて、王侯貴族が資金繰りに悩まされていた例は枚挙にいとまがありません。
王や皇帝でありながら、なぜ資金不足に悩んでいたのでしょうか。

15世紀から16世紀のヨーロッパの歴史を左右した銀行家ヤーコプ・フッガー。皇帝マクシミリアン1世からの借金を断ったこともある強者です(画像出典:Wikimedia Commons)。
いつの時代にも「戦争にはお金がかかる」という真実
ヨーロッパの君主は、領土争いや権力争いのために、度重なる戦争を行っていました。戦争にお金がかかるのは、今も昔も変わりません。君主が行う戦争の財源となるのは、当然税金です。しかし、農業技術が未発達で生産性が高くなかった時代、戦争を続けていれば国庫が空になることは珍しくありませんでした。
フランスのように王に権力が集中する集権国家はともかく、領邦国家であったため税源が少なかった神聖ローマ帝国は、威厳のある名前とは対照的に、常に資金不足。神聖ローマ帝国の皇帝位を独占するようになったハプスブルク家も、起源をたどるとスイスの山間地にわずかな領地を有していただけの小領主でした。
15世紀から16世紀にかけてハプスブルク家を繁栄させたマクシミリアン1世は、資金不足に悩んだ皇帝として有名です。その原因となったのは、妻の実家ブルゴーニュ公国やイタリアの都市国家領有をめぐるフランスとの対立、自治権を巡るスイスとの戦争、オスマン帝国の侵入に対する防衛など、さまざまな戦争でした。
国庫で戦費を賄えなくなったマクシミリアン1世が頼ったのが、銀行家のフッガーです。ローマ教皇やさまざまな領邦とも深い関係のあったフッガーは、当時のヨーロッパの歴史を左右したといっても過言ではありません。
信者からのお金が集まるカトリック教会を見ていたマクシミリアン1世は、ローマ教皇になろうとしたといわれています。教皇選挙のためにかかる資金繰りをフッガーに依頼したのですが、その提案を非現実的と判断したフッガーは皇帝に「No!」を突き付けました。皇帝が教皇を兼ねるという前代未聞の野望は、現実的な銀行家によって阻止されたのです。
イングランド王たちも金欠状態
資金不足に悩んでいたのは、イングランド王たちも同様。ヘンリー2世とアリエノール・ダキテーヌの間に生まれた末子のジョンは、兄たちに領土を占有されたため相続する領地がなく、父から「Lackland(領地なし)」と呼ばれていました。「ジョン王」という名称以外に、「失地王」という呼び名が定着しています。
ジョンは、父や兄の死によってイングランド王となってからも、外交や戦争に失敗。失地王の名の通り領土を失いました。結果、慢性的な財政難に悩んでいたといわれています。
また百年戦争を起こしたエドワード3世も、資金難に悩み、フィレンツェのバルディ銀行に多額の借金をします。しかしエドワード3世が債務不履行に陥り、バルディ銀行が破産するという、現代の日本人の感覚では驚くような事件へと発展しました。
この事件は西洋史では有名で、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の監督と主演を務めたロベルト・ベニーニはある雑誌上の記事で「今からでもイギリスに借金を返してもらわねば」とコミカルに揶揄したほどでした。
❖女王がOKの国とNGの国、その理由は?
ヨーロッパ各国には、女王を認める国とそうでない国が存在しました。イギリスやスペインには女王がいますが、フランスや神聖ローマ帝国に女性君主はいません。
コインを収集している方には馴染み深いマリア・テレジアは、神聖ローマ帝国の「女帝」と呼ばれていますが実質的に君主であっても称号は皇后でした。
なぜ女性君主を認める国と認めない国があるのでしょうか。その理由を解説します。

イングランド女王エリザベス1世。英国は伝統的に女王を認めていました(画像出典:Wikimedia Commons)。
女性君主を認めないサリカ法典とは?
広大な帝国を築いた古代ローマには、ローマ法典という法律が存在していました。ローマ法典とともに後世のヨーロッパ各国の法律のベースとなったのが、ゲルマン部族法です。ゲルマン部族法は、古代ローマ帝国が衰退に向かう時代に台頭したゲルマン人によって制定された法律でした。
サリカ法典は、ゲルマン部族法のひとつであり、6世紀初頭から9世紀にかけて編纂および改訂された法律です。ゲルマン人はローマ人と比べると戦闘的な性質を持っていたため、男性優位の傾向が強い社会を形成していました。
サリカ法典は、ゲルマン人のそうした民族性が反映されています。相続に関しても、ローマ法典は条件付きながら女性の相続を認めていたのに対し、サリカ法典は相続から女性を排除しています。

6世紀初頭から9世紀にかけて編纂・改訂されたサリカ法典の一部(画像出典:Wikimedia Commons)。
サリカ法典を継承した国々
サリカ法典は、ゲルマン人が建国したフランク王国に引き継がれ、10世紀に王国が分裂すると、派生したフランスや現ドイツに位置する領邦へと継承されました。
フランスやドイツの領邦がサリカ法典を維持したのには、いくつかの理由があります。
まず、伝統あるサリカ法典を重んじることで、政治的正統性を示せたこと。古代ローマ帝国のローマ法典から離れて、ゲルマン民族独自の法律を持っていたことは、多民族へのプロパガンダになりました。
さらに、サリカ法典によって女性の相続を禁じることで、家産の離散を阻止できたこと。女性が相続権を持つと、結婚によって夫の家系に領土や財産が渡ってしまう可能性があります。サリカ法典は、財産の散逸を避けるための武器だったのです。
フランスは、14世紀にはじまった百年戦争によって、イングランド王にフランス王位を脅かされます。フランス王位を欲したエドワード3世は、フランス王フィリップ4世の娘の子。つまり、フランス王家から見るとエドワード3世は女系の子孫であり、サリカ法典と照らし合わせると彼にフランス王継承権はありません。
百年戦争によって思い知らされた他国による王位簒奪の恐怖は、フランス王家にトラウマとして残りました。フランスに女王がいないのは、サリカ法典と百年戦争が主要因と言っても過言ではありません。
サリカ法典とは無縁だった国々
フランク王国から続いてきたサリカ法典は、ゲルマン人以外の民族には影響を及ぼしませんでした。
イングランドは、アングロ・サクソン人やノルマン人による国家です。イタリアの都市国家は、古代ローマ帝国の影響を受けて発展しました。スペインには一部、ゲルマン人による西ゴート王国が存在しましたが、サリカ法典の影響は小さく、女性への相続にも寛容でした。
男女同権が浸透した現代では、女性にも相続権が与えられ、長子優先の王位継承へと移行した王室は多数あります。かつて王位継承を巡って戦争まで起こしたサリカ法典も、今では歴史の遺物となりました。

イベリア半島に「スペイン」という国が生まれるきっかけを作ったカスティーリャ女王イザベル。コロンブスのパトロンとして、アメリカ大陸発見にも寄与した女王です(画像出典:Wikimedia Commons)。
コインに興味を持つことで湧いてくる西洋史の「なぜ?」。
資金繰りに悩み、銀行家に頭を下げ、相続問題で苦慮する――現代人と変わらない過去の人々の姿が見えてきます。
華やかなコインの裏側にある人間ドラマを知ることで、歴史はより身近で、より興味深いものになるでしょう。
世界史というと、どうしても戦争や王朝の名前を覚えるイメージがありますが、その裏側にある「なぜ?」をたどっていくと、急に身近に感じられる瞬間がありますね。
皇帝が銀行家に資金援助を頼んでいたり、王位継承のルールが国によって大きく違ったりと、思っていた以上に人間くさい歴史が見えてくる内容でした。
特に印象的だったのは、コインに刻まれた人物たちが、決して万能な存在ではなかったというところです。華やかな肖像の裏で、戦争や財政、相続問題に悩み続けていたと考えると、コインの見え方も少し変わってきますね。
次にヨーロッパのコインを見るときは、その国がどんな制度や価値観を持っていたのか、そんな背景まで自然と気になってしまいそうです。