エリザベス女王の即位記念金貨はなぜ発行されなかった?
今回は、エリザベス2世の即位とコインをめぐる少し意外なお話なんですね。
長い歴史を持つイギリス王室では、新しい国王の即位に合わせて記念金貨が発行されるのが当たり前のようにも感じられますが、実はエリザベス2世にはコレクターの間で「幻」と呼ばれる存在があります。
その背景をたどっていくと、華やかな王室の歴史だけではなく、戦後のイギリスが直面していた厳しい現実も見えてきます。
コインを入り口に、ひとつの時代の空気を感じながら読み進めてみてください。
イギリスの国王が即位すると、金貨のデザインも更新されてきました。
コインカタログを見ると、この流れは中世以降、延々と続いてきたことがわかります。
コインのデザインは「現在の王様は誰か?」を支配下の住民に知らせる重要な手段だったので、王室にとってデザインの更新は重要なイベントだったかもしれません。

1937年 イギリス ジョージ6世 5ポンド金貨 PF66 CAMEO (画像:PRIME MINT)
上のコインはジョージ6世(在位:1936年〜1952年)の即位記念コインで、プルーフ仕様の美しいデザインです。
さて、即位記念コインに絞って考えると、エリザベス2世の即位後に一般向けの記念金貨は発行されず、ニッケル硬貨等の発行にとどまったことに気づきます。
20世紀に入り、エドワード7世、ジョージ5世、ジョージ6世が即位記念金貨を広く一般に公開してきたのとは対照的です。
❖コレクターにとっての「幻の1枚」
即位記念金貨のコレクターにとって、エリザベス2世の即位記念金貨はどうしても手に入らない幻の1枚になっています。
ヴィクトリア女王の有名な「ウナとライオン」も入手困難ですが、市場に流通しているので資金さえあれば手に入れることは可能です。
しかし、エリザベス2世の即位記念金貨はそもそも一般に流通していないため、いくらお金を積んでも買うことができません。
そのため、愛好家たちは即位記念以外の年代に発行された金貨の中から選んでコレクションに加えることになります。
では、なぜこれほどの大慶事に、記念金貨が広く発行されなかったのでしょうか。
その理由を一言で言えば、当時のイギリスがあまりにも貧乏になっていたからです。
❖経済的に困窮したイギリス
第二次世界大戦後のイギリス経済は、戦勝国でありながら国家破産に近い凄惨な状態にありました。
1953年の即位当時、ようやく復興の兆しは見え始めていたものの、戦時の膨大な負債と厳しい統制が色濃く残っていたのです。
膨大な戦債
1945年時点でイギリスの政府債務は限界に達していました。
終戦と同時にアメリカからの援助が打ち切られ、生き残るためにアメリカやカナダから巨額の融資を受けざるを得ない状況だったのです。
輸出産業も壊滅状態にあり、輸入に必要なドルや金(きん)が決定的に不足する外貨危機に陥っていました。
継続する配給制
意外なことに、戦時中よりも終戦後の方が生活物資の制限が厳しい局面もありました。
世界的な食糧不足と外貨節約のため、戦時中には行われなかった「パンの配給」までもが実施されたのです。
即位の年である1953年もバターなどの配給は続いており、すべての配給制が終了したのはその翌年、1954年のことでした。
ポンド危機と通貨の切り下げ
かつての基軸通貨としての地位は揺らぎ、1949年にはポンドの大幅な切り下げが行われました。
この結果、国民の購買力は低下し、インフレ圧力が増大しています。
政府は金や外貨の自由な取引を厳格に禁止し、国家が資産を管理することで、なんとか通貨制度を維持している状態でした。
このような困窮した状態で、一般国民向けに贅沢な金貨を発行することは事実上不可能だったのです。
❖エリザベス2世の最初の一般向け金貨

1967年 イギリス エリザベス2世 ヤングヘッド 聖ジョージの竜退治 1ソブリン金貨 S-4125 MS65(画像:PRIME MINT)
疲弊したイギリス経済も、時の経過とともに復興を遂げていきます。
エリザベス2世の金貨は、即位から数年経った1957年になってようやく発行されました(画像は1967年銘)。
このデザインの金貨は1968年までに4,500万枚以上発行されたため、グレードを気にしなければ現在でも地金価格に近い手頃な値段で入手できます。
肖像は慣例に倣って右向きで、裏面には伝統的な聖ジョージの龍退治が描かれています。
なお、エリザベス2世の在位期間は60年にもわたっていて、その間には多種多様なデザインのコインが登場しました。

2012年 エリザベス2世 即位60周年記念 ソブリン金貨(画像出典:The Royal Mint)
聖ジョージの龍退治を現代風にアレンジしたデザイン。
三者三様の躍動感が素晴らしい逸品です。

2022年 エリザベス2世 即位70周年記念ソブリン金貨(画像出典:The Royal Mint)
イギリス王室の紋章が描かれた金貨。
重厚で格調高い雰囲気が伝わってきます。
❖1953年の即位記念金貨のデザイン

1953年 エリザベス2世 即位記念金貨セット(画像出典:Royal Mint Museum)
実は、エリザベス2世の即位記念金貨は全く製造されなかったわけではありません。
王室への献上用として、わずか10セットほどが作られました。
英国王立造幣局(The Royal Mint)のホームページに、コインの写真が掲載されています。
額面は4種類(5ポンド、2ポンド、ソブリン、ハーフソブリン)で、表面はエリザベス2世の肖像、裏面は聖ジョージの龍退治です。
肖像の面に書いてある文字について、1967年銘のソブリン金貨と比較してみましょう。

左:1967年 イギリス エリザベス2世 ヤングヘッド 聖ジョージの竜退治 1ソブリン金貨 S-4125 MS65(画像:PRIME MINT)
右:1953年 イギリス エリザベス2世 ヤングヘッド 即位記念 1ソブリン金貨(画像出典:Royal Mint Museum)
(神の恩寵を受けた女王、エリザベス2世、信仰の守護者)
(神の恩寵を受けた全ブリタニアの女王、エリザベス2世、信仰の守護者)
1967年の金貨から「全ブリタニアの(BRITT:OMN)」という言葉が消えています。
戦後、大英帝国の支配下にあった植民地が次々と独立していった時代の流れが、コインの刻印という小さな世界にも克明に刻まれているのは非常に興味深い点です。
1953年~1957年に限定するだけでも、独立(またはそれに近い)事例として以下が挙げられます。
- 1953年 エジプト王政廃止・共和制樹立(イギリスの影響力の弱体化)
- 1956年 スーダン独立
- 1957年 ガーナ独立
- 1957年 マレーシア独立 など。
第二次世界大戦後に多くの地域が独立した理由として、ナショナリズムの台頭のほか、イギリスが経済的に困窮して植民地を維持するコストを賄えなかったことなどが挙げられます。
❖エリザベス2世の金貨を集める楽しみ
エリザベス2世の在位は60年にわたっており、コレクターの需要を受けて数多くのコインが発行されました。
金貨だけでなく、銀貨やニッケル貨などさまざまな種類があります。
このため、「エリザベス2世の金貨」という大きなくくりでコインを探すと、容易に見つかります。
しかし、特定の年代の特定のグレードの金貨が欲しいという場合、探すのは大変な労力が必要です。
定番の収集テーマとしては、肖像の変遷にあわせて各肖像のコインを揃えたり、自分の好きな肖像の発行年をすべて集めたりと実に様々。
エリザベス2世は在位期間が非常に長いため、コレクションのテーマによっては、完集までに長い時間をかけて愉しむことができるシリーズの1つです。
当店でも、世界中のオークションや海外の協力ディーラーから情報を得ながら、お客様のご希望に合ったコインをお探ししています。
レア度が高くなればなるほど、その時間は長くなりますが、探すために時間をかけることも、アンティークコインコレクションの醍醐味の1つです。
気になるコインや、お探しの年代・グレードなどがありましたら、ぜひ当店までお問い合わせください。
コレクションの方向性や集め方についてのご相談も承っております。
エリザベス2世のコインというと、どうしても長い在位期間の華やかな印象が先に浮かびますが、その出発点には意外な事情があったんですね。
コインは単なる記念品ではなく、その時代の経済や社会の姿を映し出す存在なのだと改めて感じました。
もし1953年の即位記念金貨が広く発行されていたら、また違ったコレクションの世界が広がっていたのかもしれません。
そんな「もしも」を想像しながらコインを眺めるのも、ひとつの楽しみ方になりそうですね。