1753年
ドイツ1753年 ドイツ ザイン=アルテンキルヒェン伯領 12クロイツァー銀貨
NGC | MS65
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コインの特徴
1753年にザイン=アルテンキルヒェン伯領で発行された12クロイツァー銀貨は、英国王室ファンの間でも人気の1枚です。その背景には、欧州貴族同士の婚姻による縁戚関係があります。
伯領が属していた神聖ローマ帝国は、数百もの伯領や自由都市が寄り集まって構成された国家でした。中央集権的な絶対王政とは異なり、それぞれの領邦が独自の紋章や貨幣を持つことを認められていました。
ザイン=アルテンキルヒェンは、現在のドイツ・ラインラント=プファルツ州に位置していた神聖ローマ帝国の伯領でした。11世紀から続く歴史があり、独自にコインを発行できるほどの自治権と特権を享受していた地域です。
1741年、この伯領はブランデンブルク=アンスバッハ侯領の支配下に入りました。同家からは、ハノーヴァー朝の国王ジョージ2世の妃、キャロライン・オブ・アーンズバック(アンスバッハの英語名)が誕生しています。キャロライン王妃は、英国王室の歴史の中でも屈指の人気を誇る人物。1753年発行の本コインが英国王室ファンの間で愛される理由も、彼女の存在によるところが大きいといわれています。
神聖ローマ帝国内の領土間の複雑さを反映し、コインには2つの貴族の紋章が刻まれています。ザイン=アルテンキルヒェン家のライオンとブランデンブルク=アンスバッハ家の黒鷲。小さな銀貨に、当時のヨーロッパの複雑な縁戚関係を見ることができます。
オーストリア継承戦争の終結から数年後、欧州全体が新たな緊張へと向かう時代に発行された点も、歴史的価値を高める要素です。本拠地から遠く離れたザイン=アルテンキルヒェン伯領を新たに手に入れたブランデンブルク=アンスバッハ侯が、その支配力を誇示し、正統性を内外に示すための政策として発行したという説もあります。
血統と権力が交錯した時代を手のひらサイズで感じられる、格別な逸品といえるでしょう。
ポピュレーション
発行枚数
64万5,440枚
鑑定枚数
1枚
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小さな領邦で発行された貴重な銀貨
神聖ローマ帝国は、フランス王家のような絶対王政とは異なる政体を有していました。帝国といっても中央集権型ではなく、帝国内の数百におよぶ伯領や修道院領や自由都市によって構成されており、神聖ローマ皇帝もそれぞれの領地の自治を重んじていました。
ザイン=アルテンキルヒェン伯領は、言い伝えによれば10世紀ごろに成立したといわれる名門。神聖ローマ皇帝はその立場を尊重し、貨幣の発行権を与えていました。
ザイン=アルテンキルヒェン伯領で発行されたこの銀貨は、帝国内の地方勢力のシンボルでもあります。
ザイン=アルテンキルヒェン伯領の複雑な歴史
もともとはザイン領と呼ばれた領土は、ザイン伯爵家によって統治されていました。しかし17世紀に男系の継承が途絶え、同家の嫡女の縁組を契機に、1652年にザイン=アルテンキルヒェン伯領と呼ばれるようになります。
その後も跡継ぎに恵まれず、領土は1741年からブランデンブルク=アンスバッハ家に帰属することになりました。現在のバイエルン北部にあるブランデンブルク=アンスバッハ領と、ラインラント=プファルツ州西部にあるザイン=アルテンキルヒェン伯領は、数百キロ離れた場所にあります。
しかし、無数の小領邦が寄せ集まって構成されていた神聖ローマ帝国内では、珍しいことではありませんでした。
コインのデザイン
1753年に発行された12クロイツァー銀貨には、当時の領土事情を反映して、2つの家の紋章がデザインされています。
向かって左側にあるのが、ブランデンブルク=アンスバッハ家の黒鷲。もう一方は、ザイン=アルテンキルヒェン家のライオンです。
紋章を囲む文字は「CAR. GVIL. FR. D. G. M. BR. D. P. C. S. ETW(神の恩寵を受けたカール・ヴィルヘルム・フリードリヒ、ブランデンブルク伯、プロイセン公、ザインおよびヴィトゲンシュタイン伯爵)」。当時のブランデンブルク=アンスバッハ家の当主の名前と、彼のタイトルがずらりと並んでいます。
その裏側には「XII KREV ZER 1753(12クロイツァー 1753年)」の文字。
そして「BRANDENB. ONOLZB. SAYN. LANDMVNZ.(ブランデンブルク=アンスバッハ ザイン領邦の貨幣)」。
地方色豊かな銀貨といった感じです。
「ドイツ」という概念が生まれる前のヨーロッパ
私たちが現在知っている「ドイツ」という国が生まれたのは、19世紀半ばも過ぎてからのこと。それまでの中央ヨーロッパは、モザイクのような小さな領土が集まり、それぞれ神聖ローマ帝国のハプスブルク家や、プロイセン王家の影響を受けていました。日本の戦国時代と似たようなイメージです。
複雑な婚姻関係による「飛び地の領土」も多数
中央ヨーロッパの領邦間では、結婚による複雑な縁戚関係が存在していました。跡継ぎがいなくなると、数代前にさかのぼり、遠い領邦に帰属するケースも多数。
こうした縁戚関係により、ときには棚ぼた式に王位が転がり込んでくることもありました。その一例が、現在のドイツ北部に位置していたハノーヴァー領邦。数代前に英国王の娘が嫁いでいた関係から、跡継ぎがいなくなった英国王室に迎えられ、ハノーヴァー家のジョージ1世がイギリス王となりました。
ジョージ1世の息子ジョージ2世の王妃として迎えられたのが、ブランデンブルク=アンスバッハ家のキャロラインです。
まさに系図の迷宮ですが、現在の英国王室のメンバーの多くがドイツ人の血を引いているのは、こんな事情があるためです。
なぜ「1753年」に発行されたのか
このコインはなぜ、1753年に発行されたのでしょうか。
1741年からザイン=アルテンキルヒェン伯領を治めるようになったブランデンブルク=アンスバッハ家によるプロパガンダ、という説があります。新しい領主が、自分の存在を印象付ける意図があったのかもしれません。
またハプスブルク家の女帝マリア・テレジアをめぐるオーストリア継承戦争は、1748年に終戦を迎えています。戦後の平和を位置づけ、各領邦が経済の活性化を狙い、貨幣の発行を行ったという説もあります。
いずれにしても、18世紀のヨーロッパの複雑な事情を反映したコインといえるでしょう。
配送・保証
配送と補償について
梱包について
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また、出荷前には低刺激アルコールを用いて、女性スタッフが一つ一つ状態の確認と清掃を行っています。
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