国民に愛されながら王冠を賭けた恋によって在位325日:エドワード8世

国民に愛されながら王冠を賭けた恋によって在位325日:エドワード8世


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S.Mori(コイン歴3年)

エドワード8世というと、「王冠を賭けた恋」の印象が強い人物ですよね。でも、その生涯をたどってみると、国民に親しまれた皇太子時代や、当時としては新しい感覚を持っていた一面など、それだけでは語れない人物だったことが伝わってきます。

わずか325日の在位の背景に、どんな時代と人生があったのか。コインに残された少し意外な逸話も含めて、気になるところがたくさんありそうです。



大恐慌と世界大戦の嵐が吹き荒れた20世紀前半、イギリス国民だけでなく世界中を魅了したプリンスがいました。映画スターのような端正な顔立ちと気さくな人柄で「プリンス・チャーミング」と呼ばれたエドワード8世です。

厳格な王室の伝統の殻を破り、労働者の生活に寄り添う姿勢で英国王室の近代化に貢献したエドワード8世。しかしその情熱は、王室史上もっとも衝撃的な「王冠を賭けた恋」へとつながっていきます。

在位わずか325日。
イギリス史上最短の治世を選んだ国王の、波乱に満ちた生涯をひもといていきましょう。


1936年エドワード8世の肖像画(画像出典:Wikimedia Commons



エドワード8世の人生略歴

1894年 ヨーク公(後のジョージ5世)の長男として誕生
1907年 13歳でオズボーン王立海軍大学に入学
1910年 父の即位に伴い皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)となる
1911年 ウェールズのカーナーヴォン城で皇太子の叙任式が挙行される
1914年 第1次世界大戦に従軍
1920年代 カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、インドなど大英帝国内外を歴訪
1931年 後に妻となるウォリス・シンプソンと出会う
1936年 1月、ジョージ5世の崩御を受けてエドワード8世として即位
12月、シンプソン夫人との結婚のため退位
1937年 ウォリス・シンプソンとフランスで結婚し、ウィンザー公となる
1939年~1945年 第2次世界大戦中、イギリス遠征軍のフランス駐在連絡将校を務める
1940年 バハマ総督となりバハマに移住
1945年 フランスに移住
1967年 母メアリー王太后生誕100年の祝賀行事に、退位後初めて夫妻で公式招待される
1972年 パリ訪問中だったエリザベス2世と家族の見舞いを受けた10日後、77歳で死去



時代背景:大英帝国の変容と王室近代化の葛藤

エドワード8世(1894年~1972年)が生きた時代は、大英帝国が近代化に向かって苦悩した時期と重なります。2つの世界大戦を経て世界が新たな国際秩序へと移行する、歴史の転換点でもありました。

エドワード8世が誕生した19世紀末は、大英帝国は依然として世界に多くの植民地を持つ「日の沈まない帝国」でした。しかし1914年に第1次世界大戦が勃発。縁戚関係にあるヨーロッパの王室が次々と崩壊していくなか、「いとこたちの戦争」ともいわれたこの大戦は、英国王室にも時代への適応を迫るものとなりました。

1929年には世界恐慌が起こり、1930年代に入るとドイツではナチズムが台頭します。広がる軍国主義と社会不安によって、イギリスの価値観や社会構造も根本から揺さぶられていきました。

エドワード8世は若くして海軍学校に入学し、軍人としてのキャリアを積みました。しかし彼が人々の心を掴んだのは軍人としての姿だけではありません。世界恐慌で職を失った人々や退役軍人を慰問し、労働者の生活に寄り添う姿勢を見せたことで、国民から絶大な人気を集めました。王族として初めてラジオ放送に出演し、即位した翌日にはイギリス国王として史上初めて飛行機を移動手段として利用するなど、近代化の象徴的な存在でもありました。

一方で英国国教会は依然として厳格であり、王族と離婚経験者との結婚は認められませんでした。国民から熱愛されながら、離婚経験者ウォリス・シンプソンとの結婚が許されなかったエドワード8世は、即位わずか325日で退位を選択。立憲君主制成立以降、自ら進んで王位を退いた初めての国王となりました。

有名な退位演説は1936年12月11日、BBCのラジオを通じて全国に届けられました。
「愛する女性の助けと支え無しには、国王としての義務を果たすことができない」という言葉は、今もなお語り継がれています。

ウィンザー公となったエドワード8世は、各国の政治的思惑に利用される存在となり、英国王室との距離も広がっていきます。しかし晩年には関係が徐々に改善し、姪エリザベス2世の見舞いを受けた10日後、1972年にパリで静かに生涯を閉じました。


1922年、来日時のエドワード8世と従者たち(画像出典:Wikimedia Commons



エドワード8世の生涯と功績

イギリス国王ジョージ5世の長男として、王室の期待を一身に背負って誕生したエドワード8世。 甘いマスクと気さくな人柄で人気を誇りながらも、わずか325日の在位で自ら王冠を手放す道を選びました。

「王冠を賭けた恋」として語り継がれ、今なお人々の心を揺さぶり続けるその人生と功績を追います。


1920年頃の肖像画(画像出典:Wikimedia Commons


誕生から皇太子時代:愛情に飢えた少年が世界を魅了する「プリンス・チャーミング」へ

1894年6月23日、エドワード8世はヴィクトリア女王の曾孫として誕生。後にジョージ5世となるヨーク公の長男で、誕生時は王位継承順位は第3位でした。家族からは生涯を通じて、「デイヴィッド」の愛称で呼ばれていました。

厳格な父、しきたりを重んじる母という家庭に生まれたエドワード8世の幼少期はけっして愛情溢れるものではありませんでしたが、彼は生来の明るさで社交的な少年に育ちます

1907年には13歳でオズボーン王立海軍大学に入学。1910年、父ジョージ5世の即位に伴い、皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)となります。この時期に海軍の道を離れ、オックスフォード大学へ進学しました。

颯爽とした容姿と人懐こい笑顔で、皇太子時代から国民に絶大な人気を誇るようになります。


生まれたばかりのエドワード8世を抱くヴィクトリア女王。エドワード8世の祖父アルバート(後のエドワード7世)と父ヨーク公ジョージ(後のジョージ5世)(画像出典:Wikimedia Commons)。


青年期:第1次世界大戦の勃発と前線への切望

1914年、第1次世界大戦が勃発します。20歳のエドワード8世は即座に従軍を志願し、近衛歩兵第一連隊(グレナディアガーズ)に配属されました。 

政府は王位継承者が捕虜にされることを恐れ、最前線での戦闘参加を強く懸念しました。しかしエドワード8世自身は、「自分には弟が4人もいる。もし自分が戦死しても王位継承に問題はない」と訴えたといわれています。

エドワード8世は総司令部で将校として従軍しましたが、塹壕の兵士たちを訪れ、励まし慰め続けました。他の兵士と同じように戦いたいというエドワード8世の姿勢は、兵士たちから深く敬愛されました。

戦争の悲惨さを実際に目にし、退役軍人にも心を寄せたエドワード8世。彼の真摯な姿勢は、国民の人気をますます高めていきました。


第1次世界大戦中のエドワード8世(当時は皇太子)(画像出典:Wikimedia Commons


壮年期:大英帝国のスターの慈善活動、そして運命の出会い

第1次世界大戦の終結後、20代半ばから40代を迎えたエドワード8世は、皇太子として最も華々しく、世界的にも注目を浴びる時代を迎えます。 

父ジョージ5世の名代として訪問したのは、カナダやアメリカ、日本や南アフリカなど、実に16か国に及びます。現地の人々に直接語りかける気さくさから、世界各地で熱狂的な歓迎を受けました。当時の英国の首相ロイド・ジョージが「最も素晴らしい大使」と称えたのも、この時代のことです。 

若々しくも英国紳士らしいエレガンスで知られたエドワード8世は、ファッションリーダーでもありました。世界を歴訪したこの時期、エドワード8世の影響を受けて、若者のあいだでタイやカフスリンクスが大流行します。

一方、1929年の世界恐慌でイギリス社会が深刻な打撃を受けると、エドワードは失業問題に強い関心を向けました。1932年には全国の労働者クラブを自ら視察し、20万人以上の雇用支援計画を後押しています

華やかな「帝国のスター」が庶民の苦しみに寄り添う姿は、国民の心をさらに強くつかみました。 

そして1931年、エドワード8世は運命的な出会いをします。相手はアメリカ人のウォリス・シンプソン。この出会いが、エドワード8世の運命を大きく変えていきました。


激動の1936年:325日の王位と「王冠を賭けた恋」

1936年1月20日、父ジョージ5世の崩御に伴い、41歳のエドワードは国王に即位。即位翌日には国王として初めて飛行機で移動するなど、近代的な君主の姿を印象づけます。新国王の誕生に、イギリス全土が沸き立ちました。 

しかし、宮廷内では深刻な事態が進行中でした。エドワードが結婚を望んだウォリス・シンプソンは、2度の離婚歴を持つアメリカ人女性。 当時、英国国教会の長でもある国王が、離婚経験者と結婚することは好ましくないこととされていました。政府や教会はこぞってこの結婚に反対。エドワード8世は、王冠か結婚か、いずれかを選択する事態に追い込まれました。

苦悩したエドワード8世でしたが、答えは明確でした。

1936年12月10日、エドワード8世は退位文書に署名します。翌11日、彼はラジオを通じて国民に自分の気持ちを正直に伝えました。

――愛する女性の助けと支えなしには、重い責務を果たすことができない 

在位わずか325日。国民にこよなく愛されながら、愛する女性を選んだエドワード8世は、弟のジョージ6世に王位を継承しました。


エドワード8世の運命の人ウォリス・シンプソン(画像出典:Wikimedia Commons


後半生:亡命生活と第2次世界大戦、長く続いた王室との確執

1937年6月3日、フランスのシャトー・ドゥ・キャンデで、エドワード8世とウォリスとの結婚式が行われました。「ウィンザー公爵」の称号を与えられたエドワードでしたが、王室はウォリスを「殿下(Her Royal Highness)」とは認めず、夫妻への風当たりは冷たいままでした。 

同年10月、ウィンザー公となったエドワード8世がナチスのヒトラーと会見する写真が出回ります。ドイツと敵対するイギリス政府は激怒し、エドワード8世の政治的な立場は悪くなりました。

1939年に第2次世界大戦が勃発。エドワード8世は再び職務に就くことを熱望し、連合軍の連絡将校として配属されました。しかし、チャーチル首相は前国王とナチスの接触を懸念し、エドワード8世をバハマの総督に任命。1940年から45年まで、エドワード8世は心ならずもバハマに移住し、責務を果たしました。

戦後は主にパリで生活しましたが、王室との溝は容易には埋まらず。1953年に挙行された姪のエリザベス2世の戴冠式にも出席できないままでした。

1967年、母メアリー王太后の生誕100年記念式典に夫妻で初めて公式招待されたことで、長い間の確執が徐々に溶解していきます。 

1972年5月18日、パリを公式訪問中のエリザベス2世が病床のエドワードのもとを訪れました。退位から36年、姪と叔父の再会でした。その10日後の5月28日、エドワードは77歳の生涯を閉じます。

遺体はウィンザーのフロッグモア王室墓地に埋葬され、14年後に世を去ったウォリスもその隣に眠っています。 


1937年に結婚したエドワード8世(当時はウィンザー公)とウォリス・シンプソン(画像出典:Wikimedia Commons



エドワード8世をより深く知るための意外な事実!

長い歴史を持つ英国王室の中でも、特異な存在を放つエドワード8世。
彼をよく知るための意外な事実をご紹介します。


こだわった「左向き」の肖像画コイン

エドワード8世のコイン(画像出典:Wikimedia Commons

イギリス王室には、新君主の肖像の向きを「前代の王と逆にする」という何世紀も続く厳格な伝統があります。父ジョージ5世が左向きだったため、本来ならエドワード8世は右向きになるはずでした。

しかし、自分の顔は左側から見るほうがハンサムであると確信していた彼は、頑なに伝統を拒否して父と同じ左向きの肖像を要求したのです。彼の電撃退位によってこれらのコインは一般流通せず、幻のコインとなりました。

「伝統を破った左向きの顔」のストーリーと圧倒的な希少性から、2021年のオークションでは1枚211万ユーロ(当時のレートで約2億8,000万円)という高額で落札され、大きなニュースになりました。

「こんな格好、友達に見せられない!」プリンスの反抗期

1911年7月、17歳のエドワードはウェールズのカーナーヴォン城でプリンス・オブ・ウェールズの叙任式に臨みました。

用意された衣装は白サテンの半ズボンに、白テンの毛皮で縁取られた紫のベルベットのマントとサーコートという、中世的な盛装。海軍学校で寮生活を送っていたエドワードは「こんな馬鹿げた格好を海軍の仲間に見られたらどう思われるか」と強く憤慨したと、後の回想録に記しています。

後にダンディな英国紳士として名を馳せるエドワード8世の面目躍如といえる逸話です。


皇太子の盛装に身を包む17歳のエドワード8世(画像出典:Wikimedia Commons


バラの栽培家としての素顔

エドワード8世は、イギリス人らしい趣味がありました。それがガーデニングです。

1929年からウィンザー大公園内の邸宅フォート・ベルヴェデアを住まいとしたエドワード8世は、荒れ果てた庭園の改造に熱中し、バラやアイリスを自ら植えました。

退位後はパリ郊外のヴィラ・ウィンザーに移り住んでからも、庭仕事への情熱は変わらず、異国の地でも花を丹精込めて育て続けたといわれています。現在も「ウィンザー公(Duke of Windsor)」という名のバラの品種が存在しており、エドワード8世と薔薇との深い縁を物語っています。



最後に

わずか325日の在位ながら、鮮明な存在感を歴史に刻んだエドワード8世。
世界大戦の荒波にもまれながら王族としての務めを果たし、愛のために王位を犠牲にした生き方は、今も人々の心を揺さぶります

しきたりに捉われない自由な生き方は、コインに刻まれた横顔からも感じることができるでしょう。



スタッフのひとことコメント
A.Harada(コイン歴3年)

「愛のために王位を捨てた国王」という印象が強かったのですが、そこに至るまでの歩みを知ると、エドワード8世の見え方も少し変わりますね。

国民に愛された姿や、伝統にとらわれない感覚を知ったあとでコインの左向きの肖像を見ると、そのこだわりまで本人らしく感じられてきます。短い在位だったからこそ残されたものの少なさも含めて、一枚のコインから想像できる物語が、またひとつ増えたように感じました。



参考文献

小学館日本大百科全書「ウィンザー公」
平凡社世界大百科全書「エドワード8世」
岩波世界人名大事典「エドワード8世」
中野京子著『名画で読み解くイギリス王家 12の物語』2017年、光文社
WARFARE HISTORY NETWORK | The Duke and Duchess of Windsor
THE History Press | Why was Edward VIII’s abdication a necessity?
Thought Co. | King Edward VIII Abdicated for Love
Bullion By Post | Edward VIII Sovereign Coins
Rauantiques | ROYAL ROMANCE: KING EDWARD VIII AND WALLIS SIMPSON
Gazette | Edward VIII proof pattern breaks its own auction record for a British coin
The Garden History | Acorns from the King


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