マッシモ宮のコインコレクションを見て知ろう!文明の栄枯盛衰

マッシモ宮のコインコレクションを見て知ろう!文明の栄枯盛衰

 

スタッフのひとことナビ
A.Harada(コイン歴3年)
今回は、ローマのマッシモ宮に収蔵されているコインコレクションを通して、文明の盛衰をたどっていくコラムなんですね。
コインは小さなものですが、その時代の権力や経済、そして人々の価値観まで映し出しているのだと、あらためて感じさせられます。古代ローマから中世、近代へと続いていく展示を眺めていると、まるで歴史そのものを歩いているような感覚になりますね。
コイン好きの方はもちろん、ヨーロッパ史がお好きな方にも、ゆっくり楽しめそうな内容です。

 

 

ヨーロッパの博物館や美術館を訪れると、コインのコーナーをよく目にします。
コレクターとして、手に入れた1枚の硬貨をじっくりと眺めるのも楽しいものですが、時代や国ごとに選別されたコインを一堂に眺めるのも一興。歴史の栄枯盛衰を感じることができます。

ローマの玄関口、ローマ中央駅テルミニから徒歩わずか1分。マッシモ宮(ローマ国立博物館)で鑑賞できるのは、世界でも有数の古代ローマのコインコレクションです。熱心なコレクターであったイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が寄贈した銘品を核に、古代から近代まで、コインの変遷をたどることができます。

 

ローマ国立博物館のメイン館である「マッシモ宮殿」。古代ローマの至宝からイタリア王のコインコレクションまで見どころ満載(画像出典:Adobe Stock)。

 

 

ヨーロッパの硬貨の規範!古代ローマ帝国のコイン

マッシモ宮の地下には、40万点ものコインが眠る展示室があります。
中でも世界的に有名な古代ローマのコレクションは、2,000年以上前とは思えないほど細工が細かく、当時の技術の高さに驚かされます。
数ある銘品の中から、特に印象的なコインを写真と一緒にご紹介します。

 

マッシモ宮のコインコーナーは地下にあります(撮影:PRIME MINT)。

 

 

ローマ近郊出土の青銅貨(紀元前3~2世紀)

アエス・グラウェ(Aes Grave)と呼ばれる、古代ローマで使われていた非常に重い青銅貨(撮影:PRIME MINT)

現在はビーチリゾートとして知られるローマ近郊のサンタ・マリネッラには、古代にはカストルム・ノウム(古代ローマの軍事植民地)がありました。ここで出土した青銅貨はかなり大型。壺からこぼれ落ちたままの状態を再現した展示は、まるで発掘現場に立ち会っているようなリアルさがあります。

アエス・グラウェ(重い青銅の意)と呼ばれる鋳造貨幣で、紀元前3~2世紀、共和政ローマが領土を拡大し経済活動が本格化していった時代のものです。重量そのものが価値を示すこの硬貨は、その後、より扱いやすい打刻型の貨幣に取って代わられていきました。

 

 

デナリウス銀貨・三日月(紀元前3世紀)

三日月のモチーフが刻まれたデナリウス銀貨(撮影:PRIME MINT)

直径18mm、1円玉よりも小さいコインですが細かな技術は感動的。共和政ローマが、カルタゴと戦っていた時代の銀貨です。デザインされているのは、ディオスクーロイ(双子神)として知られるカストルとポルックス。優れた騎手として崇められ、旅人や船乗りの守護神であると同時に、伝説的な戦士でもありました。三日月と星は普遍性を表しているという説や、ふたご座の星という説も。

 

 

デナリウス銀貨・狼(紀元前1世紀)

ロムルスを育てた狼の伝説に由来するモチーフのデナリウス銀貨(撮影:PRIME MINT)

ローマ建国の英雄ロムルスは、赤ん坊のころに狼に育てられたという伝説があります。現代のローマでも狼のモチーフを街中でよく見かける理由であり、ローマに本拠地を置くサッカークラブ「ASローマ」のエンブレムに狼が描かれているのも、この建国神話に由来します。
紀元前77年に発行されたこのデナリウス銀貨には、造幣局の担当官であったプブリウス・サトリエヌス(P·SATRIENSVS)の名前が刻まれています。古代ローマでは、コインの発行を担った人物が自らの名を刻むことで責任の所在を示すと同時に、自身の存在を広く知らしめるプロパガンダとしても活用していました。

 

 

アウレウス金貨・オクタヴィアヌス(紀元前40年ごろ)

オクタヴィアヌスの肖像が刻まれたアウレウス金貨(撮影:PRIME MINT)

皇帝になる前、まだオクタヴィアヌスであった頃のアウグストゥス帝。大伯父ユリウス・カエサルが暗殺されたあと、彼の遺言によって10代後半で政治の舞台に躍り出た若き日の肖像です。ラテン語で、カエサルの後継者であること、第2次三頭政治を担う1人であったことが記されています。

 

 

アウレウス金貨・ネロと小アグリッピーナ(54年ごろ)

ネロと母・小アグリッピーナが刻まれたアウレウス金貨 (撮影:PRIME MINT)

悪名が高いネロ帝ですが、外交面では高い功績を残しました。ネロと向かい合っているのは、彼の母である小アグリッピーナ。ネロを皇帝にすることに尽力し、哲学者セネカを家庭教師として招くなど、息子に影響力をふるいました。金貨に刻まれている文字は「クラウディウスの妻にしてネロの母アグリッピナ」。強権を振るいすぎた結果、最後は息子ネロに殺されました。

 

 

アウレウス金貨・ハドリアヌス帝(120年ごろ)

ハドリアヌス帝の肖像が刻まれたアウレウス金貨(撮影:PRIME MINT)

五賢帝のひとり、ハドリアヌス帝のアウレウス金貨。ローマ市民の男性は髭を剃るのが慣習でしたが、ハドリアヌスは豊かな顎髭をたくわえた姿でコインに刻まれています。ギリシャ哲学と文化への深い傾倒を示すスタイルであり、これ以降の皇帝たちの間で髭を生やす習慣が約2世紀にわたって広まるきっかけにもなりました。帝国が最も安定し繁栄していた時代に造幣されたこの金貨は、肖像の写実性が際立っています。

 

 

中世から近代のコイン

古代のコインが充実していることで有名なマッシモ宮ですが、中世以降の貨幣も目を見張る逸品が多数あります。
特に印象に残ったコインをご紹介します。

 

博物館内、コイン展示の様子(撮影:PRIME MINT)


 

カロリング王朝デナリウス銀貨(9世紀)

カロリング王朝デナリウス銀貨(撮影:PRIME MINT)

デナリウス銀貨は、紀元前3世紀ごろから共和政ローマで発行されていました。カロリング王朝のカール大帝もこの伝統を継承しています。刻まれている文字「MEDIOLANUM」はミラノの古名。「平野の真ん中」を意味するラテン語です。

 

 

フィオリーノ金貨(13~16世紀)

1252年にフィレンツェで発行されたフィオリーノ金貨(撮影:PRIME MINT)

1252年、銀本位制が主流だったヨーロッパで、フィレンツェはいち早く金貨の造幣に踏み切りました。それがフィオリーノ金貨(英語名フローリン)です。ヴェネツィアのドゥカート金貨と並んで中世ヨーロッパの基軸通貨となり、欧州各国のコインの模範になりました。

フィオリーノ金貨のシンボルともいえる百合は、銀行業と毛織物業で繁栄したフィレンツェの都市紋章です。ルネサンス文化を生んだフィレンツェ、その経済の繁栄を支えたコインでした。

 

 

ミラノ公国スクード銀貨(1535~1556)

カール5世の肖像が刻まれたスクード銀貨(撮影:PRIME MINT)

突出した顎、強い眼差し——ハプスブルク家に特徴的なその横顔は、精緻な彫刻でくっきりと刻まれています。神聖ローマ皇帝カール5世の肖像です。

1535年、ミラノ公が嗣子なくして没すると、カール5世はミラノ公国を帝国の直轄領に組み込みました。スペイン王にして神聖ローマ皇帝、ヨーロッパ最大の版図を誇った君主がイタリア北部の要衝をも手中に収めた瞬間です。このスクード銀貨は、その支配の正統性を人びとの手に渡るコインに刻み込むという、いかにもハプスブルク家らしい政治的意思表示でもありました。

 

 

ヴェネツィアのオセッラ貨(16世紀~18世紀)

贈答用に発行されたオセッラ貨(撮影:PRIME MINT)

毎年クリスマスの時期、ヴェネツィアの元首(ドージェ)は貴族たちへの贈り物として鴨(イタリア語でuccella=オセッラ)を贈る慣習がありました。しかし都市国家ヴェネツィアで鴨を安定的に調達することが難しくなると、16世紀からその代わりとして4分の1ドゥカート相当の金貨が発行されるようになります。これがオセッラ貨の起源です。

贈り物としての性格上、毎年デザインが変わるため、その年その年のヴェネツィアの出来事や祝祭が図案に反映されています。コレクターにとっては、ヴェネツィア共和国の歴史をコイン1枚ずつでたどれる、年代記のような存在でもあります。

 

 

オーストリア帝国ダカット金貨(1864年)

ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲が刻まれたダカット金貨(撮影:PRIME MINT)

美しい双頭の鷲は、ハプスブルク家の紋章として日本でもよく知られたモチーフ。この金貨が発行された1864年は、「ハプスブルク家の不死鳥」とも称されたフランツ・ヨーゼフ1世の治世のさなか。68年という長い在位のうち、帝国がまだその威容を保っていた時代のものです。
盾の中央に積み重なる紋章は、ハプスブルク家が支配した無数の領邦と王国を象徴しています。これだけの情報を直径数センチの金貨に刻み込む技術の精緻さもまた、この時代の造幣技術の水準を物語っています。

 

 

イタリア王国100リラ金貨(1923年)

イタリア王国で発行された100リラ金貨 (撮影:PRIME MINT)

ムッソリーニ率いるファシスト党が政権を掌握した翌年に発行された金貨です。中央に刻まれているのはファスケス——束ねた棒と斧を組み合わせた古代ローマ起源の権威の象徴で、「ファシズム」という言葉自体もこの紋章に由来します。
発行者であるイタリア王ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世は、生涯をかけてコインを蒐集した熱心なコレクターでもありました。マッシモ宮のコレクションの核をなすのは、その王自身の手で集められた銘品たちです。

 

 

コイン以外にも必見の展示が多数

小さなコインのデザインに目を凝らしていると、あることに気づきます。

経済力や外交で栄えた国ほど文化が花開き、貨幣の技術も充実する――国力と貨幣の美しさは、時代を超えて比例しているのです。

そんな思索にふけりながら歩いていると、マッシモ宮ではほどよいタイミングでコイン関連の展示物が現れます。コインを補完するように配置された展示物が、鑑賞の奥行きをさらに深めてくれます。

 

マッシモ宮のコインコーナーには、コイン以外の展示も多数。こちらはコイン鋳造に使われていた古代の鋳型 (撮影:PRIME MINT)。


皇帝アウグストゥスによる古代ローマの貨幣制度を説明するパネル。アウレウス金貨やデナリウス銀貨の価値がよくわかります (撮影:PRIME MINT)。

1アウレウス=25デナリウス=100セステルティウス=400アスという比率。
アウグストゥス帝の時代、一般的な兵士の年収は225デナリウス。軍団の柱といわれた百人隊長ともなると、その数倍から十数倍にも上ったとされています。

 

古代ローマの貨幣と同じ素材で作られたといわれるヴィカレッロのカップ。1852年、ローマ北西部ブラチャーノで発掘されました (撮影:PRIME MINT)。

カップの表面にびっしりと刻まれているのは、ヒスパニア(現スペイン)のカディスからローマまでの宿駅と距離、つまりローマ街道の旅程表です。長旅を無事に終えた旅人が、感謝の気持ちを込めて聖域に奉納したものと考えられています。「すべての道はローマに通ず」と称えられた古代のインフラ技術を伝える遺品です。

 

古代ローマの商業活動の様子を伝えるレリーフのレプリカ。コインがどのように使われていたのかがビジュアル化されています (撮影:PRIME MINT)。


西暦180年ごろに作られた石棺。細部まで精巧に彫り込まれており、古代ローマの高い技術力を実感できます (撮影:PRIME MINT)。


 

古代の貴重な遺品とともにコインを鑑賞する楽しみ

充実したコインコレクションがあるマッシモ宮。古代ローマ時代の遺品とともに鑑賞するとより深くその魅力を感じることができます。

テルミニ駅から徒歩1分という立地ながら、館内はとても静か。平日は訪問者も少なく、落ち着いて館内を見ることができます。

古代の人びとの息吹を感じるひと時、機会があったらぜひ!

 

 

スタッフのひとことコメント
Mina Yoshii(コイン歴2年)

コインを見ているはずなのに、気づけばその時代を生きた人々の姿まで想像してしまうような内容でした。
権力を示すために刻まれた肖像や紋章、都市の繁栄を象徴するデザインを眺めていると、貨幣というものが単なる「お金」ではなかったことが自然と伝わってきますね。

古代ローマの重厚な青銅貨から、ルネサンス期の華やかな金貨、そして近代国家の思想を映したコインまで並んでいる様子を思い浮かべると、文明の流れそのものを一枚一枚でたどっているような気持ちになります。
次にコインを見るときは、そのデザインの奥に、どんな時代の空気が刻まれているのか、少し想像しながら眺めてみたくなりますね。

 

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