古代ギリシャの繁栄を支えたテトラドラクマ銀貨

古代ギリシャの繁栄を支えたテトラドラクマ銀貨

 

スタッフのひとことナビ
S.Mori(コイン歴3年)
テトラドラクマ銀貨は有名ですが、「なぜここまで広く使われたのか」をじっくり考える機会は、意外と少ないかもしれません。
今回のコラムは、コインそのものだけでなく、当時のアテネの勢いや空気感まで伝わってくる内容ですね。
読み進める中で、あらためて気づかされることも多そうです。
そんな視点で、気軽に読み進めてみてください。

 

 

テトラドラクマ(4ドラクマ銀貨)は、古代ギリシャで最も広く使われた高額銀貨です。紀元前5世紀のアテネを中心に、地中海世界の各地に流通した国際通貨でした。

 その高い銀純度と信頼性から、各地の商人・軍隊・国家が取引に用い、後世の貨幣にも影響を与えたことで知られています。
テトラドラクマ銀貨の起源からアテネでの発展、国際通貨化、そしてアレクサンダー大王以降の展開までを解説します。

 

 

紀元前5世紀以降、長期にわたり発行された、女神アテナとフクロウのテトラドラクマ銀貨(画像提供:Adobe Stock)。

 

 

テトラドラクマ銀貨の歴史

アテネをはじめとするギリシャの経済を支えたテトラドラクマ銀貨。
その歴史を解説します。

 

 

ドラクマの誕生

「ドラクマ」という貨幣単位は非常にギリシャ的な響きを持っています。ユーロが導入される以前の近代ギリシャでも使用されていたドラクマの起源は、古代にまでさかのぼります。

「ドラクマ(drachmē)」という名称は、ギリシャ語の「掴む」を意味する drattō に由来するとされます。もともとは鉄製の棒(オボロス)6本分を「ひと掴み」とした重量単位で、後に貨幣の単位になりました。

ギリシャで金属貨幣が定着するのは紀元前6世紀ごろ。
アテネもこの時期に独自の貨幣体系を整え、後にアッティカ標準(Attic Standard)と呼ばれるシステムを作りました。
テトラドラクマ銀貨はこの標準体系で発行された高額貨幣であり、1枚で4ドラクマ(約17g前後の銀)となっています。
テトラドラクマ銀貨の誕生には、紀元前6世紀のアテネのリーダー、ペイシストラトスの経済政策が関連しています。ペイシストラトスは、経済力向上政策の一環として、「相手側も喜んで受け取る、信用のおける自国通貨の確立」を目指していました。

その結果生まれたのが、アテネのテトラドラクマ銀貨でした。



もっとも流通したテトラドラクマ銀貨

それまでのアテネでは、通貨のシステムが確立していませんでした。他国との交易では、コリントやアイギナの銀貨を使用していたといわれています。

4ドラクマであるアテネのテトラドラクマ銀貨が流通したのには、いくつかの理由があります。
まず、兵士への支払い。当時のアテネには既に市民兵が存在していましたが、トラキアなどの辺境地域出身の傭兵も多く、彼らへの支払いにはテトラドラクマ銀貨が使われました。

また交易上の支払でも、高額貨幣のテトラドラクマ銀貨は便利でした。
当時のアテネの著しい経済発展を背景に、アテネ発行のテトラドラクマ銀貨は信用度も急速に高まります。高品質のアテネ産の製品とともに、アテネという都市の価値の向上に寄与したのです。

 

 

テトラドラクマ銀貨が流通した時代のアテネ

テトラドラクマ銀貨の大規模な流通は、当時のアテネの経済発展を抜きには語れません。いったいどのような経緯で、アテネは経済成長を遂げたのでしょうか。

 

 

紀元前6世紀後半から地中海地方を席巻するようになったアテネ産の壺(画像出典:Wikimedia Commons)。

 

 

ペイシストラトスによる大改革

アテネの最盛期は、紀元前5世紀とされています。ペリクレスという大政治家によって、アテネの民主政がもっとも機能した時代です。

紀元前6世紀は、最盛期に向けての助走期間でした。大国となるために必要な経済力の増強に寄与したのが、ペイシストラトスです。50代半ばでアテネのリーダーとなった彼は、アテネに平和と経済的繁栄をもたらしました。

その政策のひとつに、銀山の開発が挙げられます。当時のアテネは、アッティカ地方の鉱山開発にも着手し、上質な銀貨の原料の確保に成功。テトラドラクマ銀貨はその高い純度から、国際的な通貨へと成長しました。

ペイシストラトスの経済政策の代表例として、「壺」の生産も有名です。当時の壺は、ワインやオリーブオイルなど、食材の保存や輸送のために不可欠な存在でした。
ペイシストラトスは、大量生産による安価な壺ではなく、単価の高い生産方式へと移行させました。当時のギリシャ世界で高級な壺といえばコリント産でしたが、紀元前6世紀以降、ギリシャの壺といえばアテネ産が主流となります。

 

 

最盛期へ向かうアテネのシンボルとして

紀元前6世紀後半、アテネは平和と安定を享受しました。テトラドラクマ銀貨が「地中海世界で最も信用される貨幣」となったのは、アテネの経済や文化の発展に起因します。

銀山からの安定した銀の供給、壺やオリーブなどの産業の発展をベースに、アテネは海上交易国家として発展します。アテネの船団はエーゲ海を支配し、銀貨の受容圏を一気に拡大させました。

こうしてテトラドラクマ銀貨は、エジプトから小アジア、黒海沿岸にいたるまで、商人が安心して手に取れる、国際標準の銀貨となっていきました。

 

 

テトラドラクマ銀貨の主役「フクロウ」と「アレクサンダー大王」

テトラドラクマ銀貨は、紀元前6世紀のアテネだけではなく、各地で発行されました。それぞれの地域のアイデンティティを示すデザインで知られています。なかでも、フクロウがデザインされたアテネのものと、アレクサンダー大王のテトラドラクマ銀貨が有名です。

それぞれの魅力を解説します。

 

 

女神アテナとフクロウのテトラドラクマ銀貨

ギリシャ神話の女神アテナは、都市アテネの守護神です。智慧と戦いの神アテナは、武装して生まれてきたという伝説の持ち主。10年におよぶトロイの戦争が終結したのは、女神アテナが愛したオデュッセウスの活躍によるものです。

アテナの聖獣フクロウは、闇にあっても人間に見えないものを見て、未来を予見する動物とされています。女神アテナとフクロウの組み合わせは、やがてギリシャ世界の象徴にもなりました。

現在のユーロ貨幣は、裏面のデザインが各国によって異なります。ギリシャの1ユーロ貨幣の裏面には、テトラドラクマ銀貨そっくりのフクロウが使用されています。テトラドラクマ銀貨に刻まれている「ΑΘΕ」というギリシャ語は、「アテネによる発行」という印。ギリシャ世界の魂と呼ばれるほど繁栄を謳歌したアテネの誇りが伝わります。

ローマ支配下で様式が変わりますが、紀元前86年まで発行された歴史があります。

ギリシャの1ユーロコインにデザインされた、古代アテネのテトラドラクマに由来するフクロウのモチーフ(画像提供:Adobe Stock)。

 

 

アレクサンダー大王のテトラドラクマ銀貨

アテネに倣い、マケドニア王国のフィリッポス2世やその息子アレクサンダー大王もテトラドラクマ銀貨を発行しました。20歳で即位したアレクサンダー大王は、紀元前336年ごろからテトラドラクマ銀貨を発行したと伝えられています。

表面にデザインされたのは、ギリシャの神ヘラクレス。一説には、アレクサンダー大王の肖像といわれています。ヘラクレスはライオンと戦った英雄であるため、ライオンの頭をかぶっています。美男子であったといわれる大王の面影と力強さが伝わるデザインです。

裏面には、ギリシャ最高の神ゼウスが玉座に座る姿が描かれています。最高神のシンボルである笏と、聖獣の鷲を手にしており、王者の貫禄が伝わります。

アレクサンダー大王のテトラドラクマ銀貨としては、彼の死後に発行された、部下リュシマコスによる銀貨も有名。リュシマコス統治下のマケドニアで発行され、アレクサンダー大王の肖像と、玉座に座るアテネ像がデザインされています。

紀元前4世紀後半に発行された、アレクサンドロス大王のテトラドラクマ銀貨(画像提供:Adobe Stock)。

 

 

最後に

古代ギリシャで発行されたテトラドラクマ銀貨は、政治的にも文化的にも繁栄したギリシャの象徴です。女神アテナとフクロウのデザインは、当時の地中海の国際通貨として知られるようになり、アテネの経済成長の礎となりました。

古代地中海世界の銀貨の規範となり、さまざまな地域で発行されたテトラドラクマ銀貨。古代ギリシャの知性と繁栄を伝える遺品として、コイン市場で高く評価されています。

 

 

スタッフのひとことコメント
Mina Yoshii(コイン歴2年)
テトラドラクマ銀貨、思っていた以上に奥が深いですね。
アテネの繁栄や人々の活動とともにこの銀貨が動いていたと考えると、古代のロマンを感じて、見え方も少し変わってきますね。
次にフクロウのテトラドラクマを見るとき、どこまで旅をしてきたのか、思わず想像してしまいそうです。
また気になるコインがあれば、ぜひ一緒に掘り下げていきましょう。

 

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