フランスの政体は19世紀に5回も変わった!栄光と苦悩の時代
フランス革命という出来事はよく知られていますが、その後のフランスが、どんな迷いや揺らぎを抱えながら進んできたのかを、あらためて整理する機会は意外と少ないかもしれません。
王政、共和政、帝政が交錯した19世紀という時代を通して見えてくるのは、ひとつの理想を追い続けた人びとの試行錯誤です。
革命のその先に何があったのか、そんな視点で読み進めてみると、また違った景色が見えてきそうですね。
現在のフランスの政体は、第5共和政と呼ばれています。「第5」と呼ばれているのですから、共和政は過去の歴史に何回も登場します。その合間を縫って、王政が復活したり、帝政が生まれたり、19世紀のフランスは進路がなかなか決まらない時代でした。
「自由・平等・友愛」をモットーにした18世紀末のフランス革命は、『ベルサイユのばら』の舞台として有名です。フランス革命は、栄光と混乱が交錯する時代の幕開けでした。
革命後のフランスがたどった歴史を、わかりやすく解説します。

1830年にドラクロワが描いた『民衆を導く自由の女神』(画像出典:Wikimedia Commons)。
❖絶対王政の終焉から始まるフランスの近代
美しいフランス王妃マリー・アントワネットが、ギロチンで処刑されたことはあまりにも有名です。絶対王政を誇ったフランスで、なぜ王夫妻が処刑されるような事態になったのでしょうか。

1778年頃、豪華な衣装に身を包むマリー・アントワネット(画像出典:Wikimedia Commons)。
揺らぐ絶対王政
太陽王ルイ14世の時代に絶頂期を迎えた絶対王政。ルイ14世の晩年は、戦争やベルサイユ宮殿の建築などから、大変な財政難になっていました。当時のフランスは、人口の2パーセントにすぎない王侯貴族が贅沢三昧。98%の国民が重税に苦しみ、貧困にあえいでいるという状況でした。
キリスト教の世界では、神が決めたことは絶対的な意味を持ちます。「王」は「神に選ばれた者」であり、その地位は不可侵であるとされていました。国民は「貧しきものは幸いである」というキリスト教の教えに従い、貧困に耐えてきたのですが、18世紀の終わりになると、こうした社会の在り方が変わっていきます。その理由のひとつが、近代的な哲学思想の普及でした。とくに「国家の主権は人民にある」と主張したジャン=ジャック・ルソーの主張は、当時の社会に大きな影響を与えました。
革命は特権階級の反抗をきっかけに始まった!
マリー・アントワネットの夫ルイ16世が即位したころのフランスは、財政難がどん詰まり状態。それまで納税を免れていた特権階級にも、課税せざるをえない状況になります。特権にしがみつく貴族たちは、当然のことながら大反対します。王権を抑え込むために、貴族、聖職者、平民から構成される三部会の開催を王に迫りました。175年ぶりの三部会開催は、王権が失墜したことを内外に知らしめる結果となったのです。
三部会であらわになったのは、貴族と平民の対立でした。平民は「国民議会」を名乗り、新憲法発布を目指すことを宣言します。特権階級は武力で介入し、民衆はこれに対抗、1789年にバスティーユ牢獄を占領します。バスティーユ牢獄には、大量の武器が保管されていたためでした。
これが、フランス革命ののろしとなったのです。
血に染まった理想と国王の処刑
勢いに乗る国民議会が目指したのは、自由で平等な立憲君主制でした。当時のフランス国民は、王政の廃止までは考えていなかったのです。しかし1791年、ルイ16世がフランスからの逃亡を試みたことで、王は国民の信頼を完全に失いました。革命派はそれまで目指していた立憲君主制を放棄し、共和政を目指すようになったのです。
実権を握った急進派のロベスピエールらによって、ルイ16世とマリー・アントワネットはギロチン刑に処されました。
これによって、フランスの第1共和政が誕生します。
国民主権という理想は、やがて暴力と恐怖政治へと変質し、ロベスピエールに反抗する人々の血が流れることになったのです。1794年、ロベスピエール自身も処刑され(テルミドールのクーデター)、フランスは決定的な指導者を欠く迷走期へと突入します。
❖ フランスの混乱を断ち切った英雄ナポレオン、栄光と没落
民衆が王を公開処刑したというインパクトのある事件は、ヨーロッパ各国の王侯貴族を震撼させました。フランスに向けられる国際的な視線は、一段と厳しいものになっていきます。革命後のフランス国民の生活レベルも、なかなか向上しません。そうした内憂外患に苦しむフランスに登場したのが、英雄ナポレオンです。
革命後のフランスの変遷を解説します。

1804年にフランスの皇帝となったナポレオンの戴冠式(画像出典:Wikimedia Commons)。
選挙権を与えられても不満な国民と指導者層の覇権争い
「自由・平等・友愛」をうたったフランス革命後、国民は幸せになったのでしょうか。民主的な改革はいくつかあったものの、国民の生活はいっこうに向上しないというのが実情でした。
実権を握った議会の実力者は、派閥争いに夢中になり、フランスという国の制御ができない状態が続きます。内乱が起きたり、外敵(オーストリアやプロイセンなど)に攻められたりと、内憂外患状態に陥ります。
そこに颯爽と登場したのが、英雄ナポレオンでした。
連勝連勝でフランス国民を歓喜させたナポレオンによる第1帝政
コルシカ島生まれのナポレオンは、フランス革命の混乱の中で投獄された時期があったものの、1795年、26歳でイタリア戦争の司令官に抜擢されました。カリスマ性抜群のナポレオンは、短期間でたるんでいたフランス軍を立て直し、結果は連勝につぐ連勝。敵対勢力を制圧し、革命後に迷走を続けていた国家をまとめ上げたのです。
「主権は人民にあり」と主張して革命を起こしたはずのフランス国民も、ナポレオンの快挙に大喜び。1804年、ナポレオン法典を制定したナポレオンは、元老院決議によって皇帝となったのです。
フランスの第1帝政の始まりでした。
ナポレオンの栄光と没落
皇帝になったナポレオンは、軍事力を切り札にして、神聖ローマ帝国を終焉に導いたほか、名門ハプスブルク家の皇女と結婚するなど、しばらくは破竹の勢いが続きました。
ヨーロッパの覇者となったナポレオンですが、ライバルであったイギリスの経済封鎖を狙った大陸封鎖令(1806年)あたりから、綻びが目立ち始めます。
1812年、ロシア遠征に失敗。
1813年にはライプツィヒの戦いでドイツに敗北。
ナポレオンは皇帝位を追われ、エルバ島に流されます。
❖5回政体が変わった19世紀!王政復古から第三共和政まで革命は2回
ナポレオンが皇帝を追われたあと、19世紀のフランスは試行錯誤の時代に入ります。1814年から1870年までの55年間で、政体は5回も変わることになりました。
王党派、共和派、ナポレオン支持者が拮抗した19世紀のフランスについて解説します。

1848年にフランスで起こった2月革命の様子(画像出典:Wikimedia Commons)。
俯瞰して見る19世紀のフランス
19世紀、目まぐるしく変わったフランスの政体を見てみましょう。
① 王政復古(1814~30年)
② 7月王政(1830~48年)
③ 第2共和政(1848~52年)
④ 第2帝政(1852~70年)
⑤ 第3共和政(1870~1940年)
それぞれの転換点には、劇的な事件も起こっていました。
1815年、ナポレオンは流刑先のエルバ島から脱出、政権奪取を試み失敗(ナポレオンの百日天下)。
1830年、シャルル10世の専制に反発した人びとによって7月革命が勃発。
1848年、ブルボン家系の最後の王が倒れ共和制へと移行する2月革命発生。
1851年、ナポレオン3世によるクーデター。
1870年、プロイセンとの戦いに敗戦。
1871年、世界初の労働者政権(パリ・コミューン)が樹立されたものの72日間で瓦解。
進路が決まらなかった19世紀のフランス、それぞれのポイントを解説していきます。
❖ 王政復古から7月王政へ
ナポレオン失脚によって表舞台に登場したのは、国民に処刑されたルイ16世の弟たちです。ルイ18世とシャルル10世の2人は、人間的な魅力に欠けていたうえ、古い王権神授説を信奉しており、フランス革命後の国民との間に深い乖離がありました。
国民の不満を察知したのが、オルレアン家(ブルボン王家の親戚)のルイ・フィリップです。彼は自由主義的思想の持主であり、自身を「市民王」であると主張。民衆を味方につけて7月革命を成功させ、7月王政をスタートさせました。
しかしルイ・フィリップは、民衆運動を抑圧し、富裕層に有利な政策ばかりを推進していきます。当然反発が大きくなり、フランスは再び革命によって王政を打倒。
これが1848年の2月革命です。

王政復古によってフランス王となったルイ18世。豪華な衣装と凡庸な顔立ちとの対比が顕著(画像出典:Wikimedia Commons)。
第2共和政からナポレオン3世の時代へ
政体を模索するフランスは、天災や外的要因からも大きな影響を受けていたといわれています。1845年から46年にかけてフランスは大凶作。民衆の生活はますます困窮していました。イギリスの産業革命の余波を受けてフランスの社会も変容の時代を迎えており、不安と空腹によって過激思想に火がついたともいわれています。
1848年に2月革命によってルイ・フィリップ王が追われ、第2共和政がスタートしました。共和国大統領となったのが、ルイ・ナポレオン(後のナポレオン3世)です。野心的な彼は、美化されたナポレオン1世の伝説や多くのボナパルト支持者に支えられ、1851年にクーデターを強行。議会を解散し、人民投票を経て、ナポレオン3世として皇帝となりました。
これが第2帝政です。
ナポレオン3世の失脚と第3共和政の始まり
皇帝となったナポレオン3世は、共和派や王党派を弾圧し、自分の地位を固めます。一方で、金融や貿易、都市開発など、国の柱となる政策を推進し、初期には国民の支持を得ていました。
しかし対外政策のために軍事力を増強したフランスは、富国強兵策をとっていたプロイセンと激突。1870年、フランスとプロイセンのあいだで戦争が始まります。この戦いに敗れて捕虜となったナポレオン3世は退位。
フランス国民は、血統だけの王や、ドラマチックな英雄への夢を捨てました。
理性と法を柱にする政体を選び、第3共和政が始まったのです。
フランスと共和政
フランスの19世紀は、国民性に最も合致する政体を模索した時代といってよいかもしれません。長く続いた絶対王政下で苦しんだ国民の記憶は生々しく、20世紀のフランスは、王政や帝政に戻ることはありませんでした。
フランスといえば、優雅なヨーロッパの大国というイメージがありますが、歴史の中で苦悩し続けた一面も忘れてはならないでしょう。
フランスのコインを手にするとき、善き未来を信じて苦難を乗り越えた英雄や民衆に思いをはせてみてください。激しい変革の時代を生き抜いた人々の息づかいが、そっと伝わってくるかもしれません。
読み終えてみると、フランスの近代史が、とても人間的な営みとして感じられますね。
理想に燃え、英雄に託し、そして何度も立ち止まりながら選び直してきた、その積み重ねが今につながっているのだと思うと、印象も少し変わってきます。
次にフランスのコインを手にするとき、その時代を生きた人びとが何を信じ、何に迷っていたのか、ふと想像してみるのも良さそうです。
静かに、コインの表情が深まっていくかもしれません